| 景数 | 19景 |
| 題名 | 王子音無川堰埭世俗大瀧ト唱 |
| 改印 | 安政4年2月 |
| 落款 | 廣重画 |
| 描かれた日(推定) | 嘉永3年 |

この絵の滝の上側は、水位を一定に保つために堰き止めていた。それを堰埭(えんたい)と呼び、題名で使われている。そこから流れ出る水は滝のようになっていた。江戸では川を水運として利用することが多く、水位に段差を作ることは市中ではないが、この辺りは江戸郊外と呼べる地域で水運に利用するよりも、灌漑を重視したのだろう。
この絵は、絵本江戸土産4編に全く同一の構図が描かれており、過去の絵の引用であることがわかる。しかも江戸土産は夏の絵であるのに対し、百景では周囲に桜が描かれ春の絵として扱われている。そのため川に入っている人たちの目的に議論が及び、堀晃明氏の「広重の大江戸名所百景散歩」の中の解説では、桜の季節に川に入ることは信仰上の理由だろうか、と誤った見解をしている。そんなはずはなく、広重が夏の絵を無理やり春の絵にしてしまったため、構図に矛盾が生じたのである。
江戸土産の解説には何と書いてあるかというと、「音無川(おとなしがは)の堰(せき)世俗大滝と唱ふ。金輪寺(きんりんじ)の下の堰より落つるを,大滝といふ。これより水上所々に巌ありて,水これが為に琴々たり。しかるに井堰(ゐせき)の上は水平らかにして,さらに声なし。よつて音無の名を負へりとぞ」(カッコはフリガナ)とあり、音無川の由来は堰の上の水が波立たずに水平で音がしないことによる。古写真にこの様子を写したものを見たことがあるが、確かに鏡のようであった。
それにしても、百景で王子周辺の江戸土産からの引用は目を覆うばかりである。その中でもこの絵は当時の習慣に誤解を与えるほどいい加減なやり方で、個人的には百景の中で駄作と考えている。
いったいどうしてこのような引用をしてしまうのかというと、改印にヒントがある。安政4年2月改印の百景の作品は14作品あり、同じ月の改印数としては百景の中で最多である。よほど忙しかったのだろう。
この絵の描かれた日は、15景「日暮里諏訪の台」や17景「飛鳥山北の眺望」などと同じく江戸土産4編の成立年の嘉永3年としておく。
この記事で参考にした本
広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))
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