こんにちは!

 

     ライトワーカーの ハートこふハート です^^

 

     7月末より関東方面へ行っておりました。

     友人や、息子のお嫁さんとお母さんとも楽しい時を過ごせました。

     鎌倉で一つの恨みの思いの開放もありました。

     そして、ちょっと長野にも足を延ばしてきました。

 

     たくさんの学びと、自分の役割も再認識して戻ってきました。

 

      

 

      戸隠神社にも参拝させていただきました。

 

ピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハートピンクハート

 

     今日は「こうあるべき」がもたらす心の重さについてです。

 

     私たちは生まれ落ちた時から、子供、社会人、親、などなど様々な役割を演じます。

 

     私は

 

     大切な子供を授かったとき、新しい命(魂)と共に生きる喜びとともに

     「親としてこうあらねば!」という強い義務感を感じました。

 

     親として 「こうあるべき」

     子供は  「こうあるべき」

 

     それが、自分の思いを子供押し付けているだけだとは気づきません。

     まだ何一つできない子供を自分の理想通りに育てようと躍起になります。

 

     そしてもっと悲しいのは、自分の我の押し付けを

     「子供のためだ!!」と、思ってしまうところです。

 

     こころが狭くアセアセ

 

     執着心がつよくアセアセアセアセ

 

     ゆとりがなくアセアセアセアセアセアセ                    そんな状態でしたから…

 

 

     子供達には 余分な苦労をさせてしまいました。

 

 

     「もう少し話を聞いてあげればよかった。」

 

     「何をしても、いつも叱るだけだった。」

 

     と、反省できたのは 子供たちの行動にーある意味反抗に

 

     「え、私の何が間違ってたというの?」と、感じ始めてからも時間がかかりました。

 

     

 

 

     あらま、今の状態はすべて私がつくりだしてきたのねぇガーン

     認めて、やっと、少しずつ少しずつ

 

     「こうあるべき」という心が

 

     解凍 されてきたのでした。

 

     ほんとに少しずつ 子供たちの個性を尊重できるように変わってきました。

     (今となってはこれも10年以上前のことですが)

 

     そうすると 子供たちも

 

     わがまま母の話にも 「ふ~ん。そうなんだ。」と

     うなずき 聞いてくれます。

 

     子供たちは私を許し、受け入れてくれるほどに成長してくれたのですが、

 

     魂の視点から見れば

 

     生まれた時から、私よりもずっと成長した魂の持ち主だったのでは?

     育ててもらっていたのは実は私のほうだったのかしらびっくり

 

     と、思っている 今日この頃です。

 

     「こうあるべき」を捨てる時、解凍するとき、

 

     歯車は うまく回りだすようです。

 

 

 

     うだる暑さが続きます。

 

     「こうあるべき」 を解凍するには絶好のチャンスですよ爆笑

 

 

 

           ドキドキドキドキドキドキいつも心に光を平安をドキドキドキドキドキドキ