「夢の話をされるのが最もリアクションに困るっていうデータがあるらしいよ」と友人が教えてくれた。
友人は、私が夢を大切にしていることを知っているし、
彼女も夢の重要性については熟知している。
つまり、そのくらい(寝て見る方の)夢を大切にしていない人が多いってこと、
一般的ではないってことだよね、と。
私の大好きなスキマスイッチも
「昨日見た夢の話など興味な〜い、退屈さ♪」と歌っているし、
そうだろうと思う。それは知っている。
夢の話のほとんどにオチはない。
オチもなければ、即座に聞く人の役に立つわけでもなく、
これといって興味を引く題材でもないと
認識されている話の代表格が夢の話なんだろうと思う。
ちなみに、私が雑談が苦手な理由はそこにある。
結論から、手短に、要点を明確に話す。
なんてことを訓練させられたからかな。
オチのない話に、つきあえないのは寂しいことだ。
子供の話なんて、オチはひとつもない。
でも、子供に「リアクションに困るわあ」なんて言わないし、
そんな風にも思わない。
しかし、一方で。
夢の話は「されるとリアクションに困る話」と多くの人が知っているのに、
どうしてその話をする人がいるのか。
困る人がいる、ということは、話す人がいる、ということだ。
そこが夢の不思議。大事なところ。
夢の話を聞いて、
リアクションに困りそうになったら、
共感したらいいと思います。(特に子供の夢には共感を!)
変な夢を見たよ、と話してくれたら、
変な夢だねと言えばいいし、
怖い夢を見たよ、と言われたら、
怖い夢だね、と言えばいい。
でもあれだね、
話をされてリアクションに困る(迷惑だという意味で)場合は、
単にその人を好きじゃないってことだと加えて私は思います。