さて、以前色々と前書きしていましたが
ちょっとずつ日本の古代史を書いてみようと思います
神話時代は置いておいて
有史という視点で書いて行こうと思います
まず、教科書で習う歴史だと
原人が出てきて
邪馬台国が出てきますね
そうこうすると大和朝廷が出てきますね
もう意味が分からないです
なぜかというと
時代があまりにも飛びすぎているので
つながりがまったく無いんですね
進化論的な話もいったん置いておきましょう
お猿さんはお猿さんなので・・・
人間のつないだ歴史という視点で話をしていきましょう
そうすると、教科書ですと
突然日本の歴史の中に
邪馬台国が出てきて
そのあと大和朝廷が出てきます
今、国として正統な歴史書として認定しているのが
日本書紀ですが、この歴史書の中に
邪馬台国の具体的な記述がありません
ただ、ぼやかして、それっぽい事は書かれているみたいなんですが
分からないのと、魏志倭人伝に書かれている内容と違うんですよね
そうなると、日本の歴史上、
いわゆる天皇という存在に都合の悪いものだったんじゃないかと
思ってしまいますね
日本書紀の編纂時期が
AD700年くらいですので
邪馬台国の時代がそこから遡ること約500年くらい前の話になってきますね
じゃぁそれまでの日本の歴史書は?というと
実はあるにはあるらしいです
正確にはあったというのが良いでしょうか
大化の改新で蘇我入鹿が暗殺されて
蘇我家が滅ぼされる時に
蘇我家に所蔵されていたものが全部燃やされて消失してしまったというのが
事実らしく、非常に残念な事になっています
AD645年くらいですかね
歴史編纂は当然、中国が編纂していたものを日本でも読まれていたと思われるので
当然、日本でもそれを真似して編纂していたと考えるのが普通の流れかと思います
なので日本書紀では
過去の歴史を大きく塗り替えてしまっている可能性が非常に高いといわれています
ちなみに聖徳太子の生きた時代が、AD574~AD622ですね
あと、金印
国宝になっているあの金印
たぶん、勘違いしている人も多いと思いますが
魏志倭人伝に書かれている
魏王が邪馬台国に送った金印ではないです!
国宝となっている金印に書かれている文字を見ると
「漢の倭の奴の国王」
中国王朝は漢の時代に
倭の国王として冊封された証明ですので
邪馬台国より以前の時代に送られた金印になります
後漢書にもこの金印の話が記載されていて
送られた年代が、AD57年という感じになってます
この頃の日本の動きが朝鮮の三国史記という書物にたくさん書かれてます
で、邪馬台国に送られたとされる金印ですが
見つかっていません
これが見つかると、九州説、近畿説に終止符が打たれる感じがしますね
ただ、後漢から送られた金印が九州で見つかった事から
場所は九州地方が有力な感じがしますけどね…
もしくは四国…
近畿地方は多分すでに大和朝廷の原型になるものが並行してあったんじゃないのかなと
日本書紀の記載から考えるとちょっと思ってしまいますね
日本の王朝が皇紀で表現されますが
1940年で皇紀2600年(零戦誕生の年なのでよく覚えてますがw)
今2018年なので皇紀2678年ですね
皇紀だけ見るとすげー長いっすよね
紀元前からの歴史になります
なのでその頃からの歴史的物証があれば良いんですけどね
それが神話時代からの話と合わさっているのか
色々まだまだ調べないといけない事は山積みです
また色々調べたらこちらで書いて行こうと思います