さてさて
義経といえば
兄頼朝に理解されず
何故か命を奪われてしまう
悲劇のヒーロー
というのが日本人の中で伝わっているお話
なんですが
ちょっと冷静に色々見てみると
実はそうではなさそうだと
いう事が垣間見れて来るんですね
(1)血統
まずは血統のお話しから
源氏の棟梁の正当な血統を持った血筋
これは揺ぎ無い事実なんで
源氏の棟梁というのは
頼朝なんですが
義経はどうかと言いますと
父親は為朝で頼朝と同じ
母親が違うんすね
為朝の側室だった常盤御前
これ実は側室のままだったら何の面倒も無いんです
頼朝の母が早くに他界してしまいまして
その後、正室として
常盤御前が昇格してしまっているんですね
と言うことは
実は義経
源氏の棟梁としての血統があるんです
(2)報連相
次に社会人として必須なこれ
報告
連絡
相談
頼朝の挙兵に呼応して
後から頼朝軍に加わっているので
すでに
頼朝を棟梁に仕立てた
源氏軍が出来ている中に入っていくわけですから
当然、一門衆といえども
新参者です
頼朝の指示に従って
軍を動かす、帰陣するのは当たり前ですが
どうも抜け駆けが多すぎます
一戦一戦の中で戦略を駆使するのは戦を勝ちに導く上で重要ですが
戦と戦の間なんかは
独断で次の戦へと進んで行ってしまいます
進む前に上司である頼朝に相談&お伺いを立てる
こういう重要な事が欠けてたんですね
実際、内部ではあまり評判は良くなかったとか・・・
(3)野心
さすがは棟梁たる頼朝は
規律の中で
分け隔てなく働きに応じて恩賞を与える事に重点を置きますが
義経にはおそらくその考えへの理解が無かったのでしょう
と言いますか(1)でお話しした血統が関係していると思いますが
義経自身も自分が棟梁の血統であることを当然知っているはずです
自分の出自は知っているはずなので・・・
つまり、自らが源氏の棟梁であるというプライドと
源平戦での連戦で慢心していたこともあるんでしょうかねぇ
後白河法皇から任官されて貴族気取り
兄貴は勝手に何してんだとキレまくっておりますwww
それに対して義経
兄上は何故分かって頂けないのか・・・とそれだけ・・・
違うだろ、任官の話しが来た時点に兄貴に相談しろ!ww
そして任官を断るのが筋でしょう
秩序を保ちたい兄貴からすれば
戦の時点からやりたい放題の義経は当然
いずれ処分の対象にと考えていたに違いないです
他にも頼朝からすると
色々疑わないといけない事があるんですが
これ、初対面の時から始まってるんですね
まず、義経が奥州から馳せ参じた時の事
家来として、藤原氏の佐藤兄弟を連れてきます
これが頼朝の警戒心を植え付けます
当時、奥州と関東で同盟関係があったかというと
何も無かったわけで
頼朝は背後に巨大な敵(奥州藤原氏)を背負った状態で
西国の討伐をする形を取る事になります
そんな奥州の家来を連れてきちゃったら
こっちの情報筒抜けだろうが・・・
というのが頼朝の心情でしょう
ここでも義経の相談力の無さが出てしまいます
つまり、弁慶はまぁ京都脱出時から付いてきてるので
居ても良いかもしれませんが
先に単騎でも良いから頼朝に面会
奥州と同盟させて兄上の背後を守る
とかね・・・
事には順序があるもんですが
どうも義経って人はこの順序が抜けてるんですよね
頼朝からすると
礼に欠けるとか
ルールを守らないとか
そういった所でちょっとずつ貯まった怒りが
義経討伐令に至ったんでしょうけどねぇ
しかもですよ
源平戦の後、義経と言う人は
やめときゃ良いのに
恩賞に不満があるだので
西国を私にくれだの
そもそも坂東(関東)は私のものだとか
言いまくっていたとか・・・
兄貴目線でみると
家来分際の弟が
ルールも守らないで何言ってんだって感じでしょうかね・・・
結局任官した後白河法皇に裏切られ
逆賊扱いされて
日本全国を追われる事になるんですね
ただ、何故義経が
ここまで日本人の心を鷲掴みにしているのかというと
当時の徴税方法が非常に取立てが厳しく
不憫に思った義経が自分の領民の取立てを緩和する等
領国経営には良君だったのが大きいでしょうね
多分それが無かったら
悪い部分を曝け出されてただの悪役になっていたのかも知れないです