みなさんいかがお過ごしでしょうか、ラムドーのクーキーです( ´_ゝ`)エルモミーゴ
世の常なんてものは無いのかもしれない。
最初にニワトリが産まれて卵を産んだのだとしても、卵が産まれるための媒体を欲しニワトリを創ったのだとしても。
女体をくねらせたビデオテープがあり、それを見るオスがあるのだとしても、オスが望んでそれを作らせたのだとしても。
「普通、そうだから」なんて言葉は、もはや今の世の中、使えない言葉なんだ。
だって『普通』がどんどん変わっていく。
だから、君の普通と私の普通は、180度真逆、なんてことが容易にあり得る。
シャベルでザクッと土を掘り返した時、大きな石とか、形の変わった物とか、グッて浮いてくるじゃん。
思い出をいっぺんにさらってみて、鮮明に思い出す事って、1つか2つで、きっとそれは今の自分を形成するとても大切なことなんだ。
俺のたいせつな思い出は、絶対に誰にも話さない。
死ぬまで。
俺だけのものだから。
そう言って、締め付けられる心臓を正当化してる。
自分の戻らない過ちと後悔に懺悔してる。
来ることのない神の啓示を待って、行くことのない未来へ馳せる焦燥と希望。
ただ待つだけの日常に嫌気が差し、出来ることと言えば、希望的観測。
こんな救われない魂に追い討ちをかける年輪という名の時間の経過と、夜のイルミネーション。
つまり何が言いたいかって?
子供に会わせろバカヤロー!