code;playork橋本ブログ

「続ける、という事の本質」


モノゴトを続けるのって難しい。

やりたい事も変化するし、環境も変わる。

状況がいろいろ変わっている中、続ける事が時に正解とも限らない。

変化に対応できないものは淘汰される世の中なら尚更だ。

つまり一つのモノゴトを続けるという行為自体が、人生においてナンセンスなのかもしれない。

始まりがあれば、終わりもある。

いや、終わりがあるから、始まりがある。

この年まで音楽という一つのモノゴトをやってくると、たくさんの仲間を見送らなければならない事になる。

その度に、自分はどんな言葉をかければよいか、いつも考える。

なぜならその仲間が、音楽を通して出会った仲間であれば尚更、音楽をやらなくなってしまうと、必然と会う事も無くなってしまうのだ。

つまり、その見送りは割と「しばらくの間、もしくはずっとさよなら」という節目の場になってしまう事が、経験上多い。

自分が人生の多くの時間を音楽で過ごしているのだから、相手が音楽以外の時間を過ごすようになれば、当然出会う時間も減ってしまうのも当然だ。

人間、時間だけは平等に出来ている。

つまり俺にとって「モノゴトを続ける」という本質は、そこでのたくさんの仲間との出会いと別れを繰り返す事を意味する。

その度に、自分の道は正しいのかを確認しながら。

仲間の下した重大な決断を尊重すると、実際はそういう場になってもたいした事は何も言えずに、でもやっぱり寂しいので「ステージで待つ」とか言ったりしてる。

後は語り合ったそれぞれの人生の交差点が、またどっかで重なる事を文字通り「祈る」。

俺はもう少し歩いてみるよ。