誰かが言った。
終わりは、始まりであると。

誰かが言った。
全ての繊細なものは、全ての広大なものであると。
ミクロは、マクロである、と。

愛は憎しみである。
優越は劣等である。

そして、キンタは、クンテである、と。
 
 
新連載

キンタ・クンテ
 
 
キンタは終わりであり始まりでもある。
よって、クンテは終わりでもあり、始まりでもある。
 
なら、キンタ・クンテ、彼は全能の神であるのか?

キンタ・クンテはネパール人だ。
 
だが、ヒトであり、きっと神でもあるということだ。
 
音楽は人生だ、という人が居る。

悲しみは喜びがあるから存在し、その逆も。だから悲しみは喜びである。


音楽は、悲みであり、喜びであり、そして神でもある。


ならそれを奏でる人も、神であり喜び悲しみであるということになる。


ということは、だ。


ひろ寿は、キンタ・クンテということにはならないのだろうか?

いや、なる。


ひろ寿=キンタ・クンテなのだ。


キンタ・クンテは、多分、恐らく、いや、確実に、ひろ寿なのだ。


そう、もう一度確認しよう。


ひろ寿は、キンタ・クンテだ。


多分、恐らく、いや、確実に、ひろ寿は、キンタ・クンテ本人なのだ。