自分が少しお酒が入っているのもあって、あえて編集はしません。ごめんなさい。


22歳ですよ。
昨日あたしお誕生日おめでとうは人生ではじめてのペアリングを買いました。
クリスマスに予約したのがあたしの誕生日の前日に届いた。
とてもうれしい。
ペアリングがあると、なかったころより相手のことを好きになっている気がするのよ

人って実は、付き合い始めのころのドキドキ感とかをどこかで持続し続けているのかもしれないね。あたしは彼氏と付き合いだしてもうすぐ二年になるわけなんだけど、やっぱりこれだけ付き合っていれば喧嘩もあるし、別れようと思った出来事だってあったけど、それでも相手をいとおしく感じる瞬間を殺さずに察知できるのは、自分が人を愛することができているということに実感して、喜びを感じているんだな。



あたしは過去にとても悲しい別れをした人がいる。それは友達でもそうだし、付き合っていた人だってそういう人もいる。

その人たちに対してとても後ろめたい気持ちもある。



あのこはあたしの裏切りを知った後にどういう風にしてあたしのことを忘れたんだろう。


それまで親友だったまさよに告げられた別れは突然だった。まさよは当時付き合っていた彼氏の子供がおなかの中にいた。彼女は彼に本気ではなかったから、すぐに子供をいなくなったものにする決断をした。あのときの彼女の血の引き具合やさめ具合、今でも覚えている。そして彼女が部屋で始めて泣き崩れた瞬間、抱き合った瞬間、いまでも鮮明に覚えてる。彼女を抱いている私はどこか自分に困惑し、どこか自分にこうなってはいけないという危機感、友達を守ってあげないとという、数々の感情にがんじがらめにされながらあの夕方を過ごした。


あたしのこの感情を整理させるために年上の彼氏を頼ったのだけど、彼が、その秘密をしゃべってしまった。そのことが起こって半年後に。まさよと関係があった男の子に。すべたがアクシデントだし、彼を攻めたのもあたしが今となっては押さないのだけど、Dも、それにしてもあたしはとても大事な友田S地を失ってしまった。あたしは取り乱した。だってそのことwまさよから直接聞いたんだもの。自分は人がいいほうだとは思っている。でもこんな風に人間はうそをつくから、あたしは自分が汚いとしょっちゅう思う。ごみだって昔はゴミ箱に捨てるものだったのに、感情と、自分の向き質な部分が突出するときに、平気でごみを捨ててしまう。それはかっこつける感情なのか、それともすさんでる感情なのか、それすらもよくわからない。今だって好きな人がいるのに、ちがうひとにたいしての寛恕を羅列している。それはうしなった 恋人、もう願いがかなわない人に対しての思い。


こんなエゴが存在するから人間は人間だし、あたしはいま、恋人に頼りたくて仕方がない。この思いを全部吐き出して、楽になりたい。自分のしたことに。自分の罪悪感に。こんなにも思っているのに、雅代には気持ちが届かない気がする、どんなに思っても。あの坂道を一緒に下った日や、朝まで一緒に飲んだ火、お風呂、足を一緒に洗って、お酒を飲んで笑いあった日々がすべて何というんだろう、遠い日々、といTTら一般的になりすぎる、モノクロまで行かない、セピア色とカラーの中間の色合いで阿多氏の心に突き刺さってしまった。突き刺さった方向が違いと頃にかすっていたらどんなにらくなんだろう。破ってしまった約束とか、もう一度彼女があたしのことを愛するようになってくれたらとか、いろんな思いが交錯する。人は一人じゃ生きていけないというのを知らせてくれたのがまさよと大。あたしはまさよには愛することとその安心感、大には愛することで自分が幸福になることを実感させてくれた大事な人。


大とはたくさんの糸がもつれ合ったままほどけていない。あのタイミングは運命と取ってしまったほうがらくなんだろうけどあたしはそうは思わない思想は思えない。雅代も一緒。彼らと別れてから阿多氏の生きる道はどことなく曇りがかったままだ。


あいたい。


あの人は何がきっかけで阿多氏の下を去る決意をしたんだろう。あたしはその人を一生懸命愛した。彼の愛を確実に知る前に私たちは別れを決断したのだけど、それが正しいのかどうかは今でもわからない。あたしはまだって彼のことをどこかで愛していると思う。あたしが仮に結婚したって、子供を産んだって。それでも待つのだろうか。待つ勇気がないから私はあきらめて恒平と付き合っているのだろうか。私にもっと地震があったのなら、決断力があったのなら。でもどこかで私は彼のことを待ち続けている機がする。かなわない願いだろうと。おばあちゃんになっても。
きっと彼は私のことを軽蔑するのかもしれない。軽蔑して嫌いになってるのかもしれない。
でも今日久しぶりに行ったあの大きな川。
あの川の近くですみたいといっていたのを思い出したよ。あの水面のそばにいると落ち着くって行っていたあなたの面影、わたしは何回横顔の綺麗さを眺めていたのだろう。
あの頃のあたしの透明さを、あの頃のもどかしさ、もし取り戻せるなら、あたしはあなたのことをいくらでも待てる。そんな気がする。
これを書いているのはあたしがお酒が入っているときだから、まとまりがないかもしれないのだけれど、君の周りに女の子がたくさんいてもあたしはいちばん愛情を持てる気がするのだよ。
あなたと一緒に泣いた夜、それはもう、君を好きな自分がだいすきだったから、あなたのことを話したくないと感じたの。でも君は離れていってしまったの。
こんな悪夢を見たくないと毎日思いながらそれでもあなたの綺麗な横顔を眺めていたことを思い出すの

ひとはさ、こんなにも人を好きになったり、嫌いになって分かれたりするのにどうしてこういう出会いを繰り貸すのだろう。きっと絶対に人を愛したくて仕方ない力が人間には存在しているんだろう。
だからあたしは、あなたをテレビで見て、そこから勝手に心の琴線を紡ぎだすのだろう。あなたがあたしを見ているのはうそと知りながら。
その横にはあたしの夫となる人がいて、彼には何も告げずにあなたを見守っているそんな気がする。見守っているなんてなんか大衆的、なんて表現すればいいのだろう。あなたを心のそこから見たい。自分に映して、私が幸せであるようにありたい。そこにあなたがいたほうがいいに決まっているけれど、あなたを本当の意味で見る子tができない無力なあたしは結局のところ届かないあなたにさまざまな思いをつむぎだして、阿多氏の中であなたという名前の木が育っていくのだろう。もし本当のあなたが、あなたの木が秋色になっても、かれてしまいそうになろうとも、あたしがそれを取り去ってあげたい。気づくまで。というか別に気づかなくてもいい。あたしは、あなたのことを心から愛していて、頃が阿多氏の中の一番大事なことだってわかっているから。
ほかの人と結ばれていても、あなたがほかの人に恋焦がれていても、この思いは代わらないのだろう。

あたしをしつこいとか、ばかだっておもってもかまわない。あたしはあなたの間に損じしていた愛を信じているから今こうして毎日毎日を生きていける気がする。この願いは死ぬまで変わらない。
誰と結ばれたって変わらない。
どうしたらこの気持ちをもっとさらっと言い流せるのだろう。
けど私の目で見てきたあなたを、私は忘れないのだろう。

もっと、素直な気持ちで人と接していたい。自分の幸せは普通のことじゃなく、特別なことだと思って生きていたい。


感情の波が安定しないまま生きるのが自分のすべきこと、最近はそんな気もする。