もったいぶってた続編でございます…
またしても記事起こし↓↓↓
『日本の100年』 “第5部 反ドーピング6”
1984年米ロサンゼルス五輪で、男性ホルモン・テストステロン(T)に陽性となった男子バレーボール代表の下村英士。原因究明のため検査入院した約3週間の間、尿の分析を担当したのが、翌年国際オリンピック委員会(IOC)公認分析機関となる三菱油化メディカルサイエンスの植木真琴だった。
当時の判定法は、通常体内にTとほぼ同量存在するエピテストステロン(ET)を基準に、TとETの比率が6対1を超えると要請だった。下村は五輪で、これが10対1と出た。ところが再検査をしても、比率は常に10対1。「ドーピングをしていたら、同じ値を保つのは不可能」と植木は言う。
報告を受け、判定法を開発したIOC医事医院のマンフレッド・ドニケが、ついに検証のために来日する。「ドイツから取り寄せたテストステロンを下村選手に投与し、自分で尿検体を分析した。それでも比率はほぼ同じ。これが決めて隣、数値の高さが、薬のせいではなく、生理的なものと証明された」
ところが、IOCは判定を覆さなかった。
「五輪のときにどうだったかは分からない。と言うんだ」やはり、下村の検査を担当したIOC医事委員の黒田善雄は振り返る。教訓として、検査基準で判定できない例外もあることを認め、その後の陽性事例については、前後3ヶ月間の確認検査を義務付けただけだった。
「一番迷惑をかけたのは、両親でしたね。五輪前、街中で頑張れ頑張れとやってもらって、こんなことに。犯罪者を持つ親みたいだったって、後で言われたことがある」下村が打ち明ける。「オレは絶対やってない。自分はそれがあったから、つらくても、下を向くことはなかったけれど」
-完-
下村さんったら特異体質だったのねヾ(´▽`;)ゝ
しかし、せっかくオリンピックに行ったのに、疑われて隔離されて…
辛かっただろうね~
「生理的なもの」と証明されたのに、判定を覆さないなんてひどい(≧ヘ≦)
