25年前のお正月、私と母とのやりとりです。

「お母さん、もらったお年玉でホワイトジーンズ買いたいんだけど」

「絶対だめ、やめなさい。汚れたら使えなくなってもったいない」

「でもずっと前から気になっているのがあってどうしても欲しいの。
汚さないように気をつけるから・・・」

「だめだめ。やめなさい。お母さん絶対反対」

泣く泣く諦めて・・・

当時中学生だった私は

お気に入りのお店の前を通る度ショーウィンドーの

Levi'sのホワイトジーンズを眺めながら 

切ない思いを過ごしたことがありました。

そして何だかそれがトラウマになって、

ずっとずっと社会人になっても

「汚れたらもったいない」が刷り込まれて その言葉でかかった暗示を

解く事が出来ずにいました。

しかし昨日。

なんとその封印がとかれたのです。

買う事すら想像せず入ったお店で

とんとん拍子で白のスキニーを買いました。


どうしてそうなったかというと

それは素敵なBeamsの店員さんとの出会いでした。

嬉しくて帰宅してまた履いて、にやり・・・

白なのに透けない。素晴らしいわ~。

今日は雨だから履かなかったけど、

いつデビューしようかなとワクワクしています♪

言葉には不思議な魔法があると私は信じています。

だから使う言葉は出来る限りプラスでありたい。
(出来る限りよ~完璧は難しいからね)

子供に「駄目」とか「〇〇しなさい」とか使いすぎていないか
意識したり。プラスよりマイナス面を多く見てないか振り返ったり。


昨日娘が帰宅して

「お母さん、Hくん(幼なじみで同じクラス)がほんと全然親切じゃない!!」

と言いました。

私もHくんのことはよく知っているから、娘さんの言う事は分かります。
お母さんが優しくおおらかな方で、Hくんのお姉さんも穏やかな性格の子なので
いつも弟に譲っている場面を見かけます。

それだからじゃありませんが、Hくんは甘えん坊で
自分中心な考え方が目立つタイプのお子さんです。
例えば自分のしたいこと遊びだけ人にさせて、お友達のしたい遊びは拒否します。
端から見ていて行きすぎている行為を見かける時はさすがに私も
子供の遊びでも口を突っ込むことがあるくらいです。

だから

「そーね。娘ちゃんの気持ち分かるよ~。
Hくん、男の子だし、まだ1年生だし、仕方ないねー
そんなに考えても仕方ないんじゃない」

娘の気持ちを受け止めつつ、「なるようになるから」こんなお返事も
一つはありかもしれません。それだけでも十分素敵です。

ただどんな人に出会っても「必ずよいところがある
学ぶべきことがある」ということを
知っておいてほしい、そんな風に考えることが自身のためになると
思うから・・・

偏った見方で随分私は不器用に遠回りに生きて来たので
子供たちにはしなるような柔軟な心を持って欲しいと思います。

「確かにHくん、人に合わせるよりも、自分に合わせてもらいたいのが
ちょっと強いよね・・でも、親切なところもちゃんとあるよね♪
ほら、娘ちゃんが学校この前休んだとき、連絡帳もって返って来てくれたし
体操服だって重たいのに持って帰って来てくれたよ~。ね。」

と返しました。

すると娘は「ああ、そうだったね~、あったねそういうことも♪」
素直に心が転換していました。

娘さんはほんとこの素直さが素晴らしいなあって親でありながら
尊敬します。

心が柔らかい。。。


どうしても人は防衛本能が働きやすい生き物です。

だから自分に都合が悪い事に対してマイナスの感情がおきます。
そしてそれをあるいはその人を変える為にはどうしたらいいかを考えます。

でもそんな時だからこそ、どれくらい心を上へ向けられるか。

北風と太陽の話じゃないけど、力ずくでしていいことは何もない。

自分の正論を振りかざしたって人は変えられない。
変える事が出来るのは自分の考え方だけ。


大人の私だってまだまだこれに関してつい現象に振り回されます。

だけど子供は素直で順応が早い。

子育てしながら、自分に余裕がないときの私は

子供の言葉に耳を傾けるのが雑になることもしばしばです。

でもやっぱり、子供の頃の 大人が使う言葉の影響って 大きいよね・・・・

白のスキニーを手にして改めて感じた昨日でした。