引かないで下さいね(-_-;)
今日は今まで放置したままの別サイトのブログ記事を整理していました。それは昨年の11月に書き始めて、今年の3月初めまで更新していたもので、ちょうど「任侠ヘルパー」の公開初日を鑑賞した記事がありました。いや~恥ずかしいくらいに熱くてビックリ(-_-;)でもそれくらい衝撃的だったんだと、今さらながら感じています。そしてやっぱり今でもこの作品、彦一が大好きなのです。で、ちょっと記念なのでこちらに記事を貼り付けました。どうか読まれた方、ドン引きしないで下さいね\(◎o◎)/!2012.11.18の日記より劇場版「任侠ヘルパー」を鑑賞してきた。正直私は主演俳優のファンである。だから当然のことながら、彼がパブリックイメージをかなぐり捨てる役柄に出逢えたこと、それが映画と言う媒体にまで繋がっていくことになった上での彼の心の経緯を想像すること、そして一番に期待を絶対に裏切らないだろう彼の男気溢れるビジュアルに浸ること、所謂主演俳優の立ち位置にばかり目線が集中し、この映画作品のテーマを見失っていたと言ってもいい。鈍器で頭を何度も殴られた!鋭利な刃物で心をえぐられた!そこで初めて自らの愚かさを思い知ることになった。だってこの映画のテーマが、今現実に私が直面している二世帯住宅、主人の両親との同居で、姑への対応で抱えている悩みをより深く掘り下げて考える契機になるかもしれないとどうして考えなかったのか?映画のストーリーが進むに連れて見えてくる、現代社会の歪みを更に侵食している老人介護問題と言う名のウイルスが次から次へと引き起こす人間同士の諍いは目を覆いたくなることばかりだった。しかし、知らん存ぜぬで済むことではない。誰しも必ず年老い、誰かの手によって生かされる日がくるかもしれないのだから。その時幸せかどうかなど何の保証もありはしない。例え何不自由のない物質的に恵まれた生活であったとしても、誰とも心の繋がっていない状況であったとするならば、果たしてそれはどう判断すべきなのだろう?元来人は孤独な生き物であるからそれでいいという価値観もあるだろうが、少なくとも私はたった一人でもいいから本音を告白できる、気持ちを共有できる相手がいてこそ人は心満たされるのではないかと思う。だからこそ、主人公の奥深くに眠っている信念に従って暴走できる男気に拍手喝采を送った!弱者から剥奪した金銭で生業を立てる輩を許せないで無鉄砲に噛みついていく馬鹿さ加減に呆れながらも。しかしそれこそが愛すべき彼の性分であり、カッコ良さでもあるのだ!でも彼は又私たちの前から姿を消した。「人が人の心を救うことは完全にはできないのか?」という大きな命題を残して。私たちは日々向き合っていかなければならないはずなのに、その事に真っ向から当たろうとしていない。「だって自分の心さえ御守できていないのに、人の心に踏み込んでいく余裕も勇気もないよ。」しかし、翼彦一はぶっきらぼうな愛情でそれを体現して見せてくれたからこそ、私は何度も目じりを拭ったのだろう。この映画作品の中に草なぎ剛というアイドルタレントは存在していない。ただ彼の体と魂を借りた、翼彦一と称する元極道者にして老人介護ヘルパーの肩書を持つ一人の男はいた。きっと翼彦一はその大きな命題へのヒントを引っ提げて再び戻ってくるはずだ。そう信じて待っていよう!