緩やかに吹き抜ける風。
思考能力の停止した僕と叫んで息が上がるアントニオさんの間を悠々と走りぬけてゆく。
軽やかに、かろやかに・・・。
ただ見つめていたアントニオさんの顔が少しほころんだのは、彼が叫んだ声が海の向こうに完全に消えてからだった。
「・・・そしたらさ。なんてことはない、こっちの世界はきれいだったよ。なんだか、思い悩んでいたことが馬鹿みたいに思えて、自分がひどく、どうしようもない人間に思えてさ・・・。それでも・・・、それでもだよ。僕は前の世界であんなにきつい思いをして、悩んだ末にこっちに来たのだと言うのに、この世界を満喫することはできないんだ。この世界で自由を与えられることはない。それどころか、簡単に新たな人生を歩むことも許されないんだよ。・・・使役されてる身だし、使役されるようなことをしたのだからって・・・。」
緩んだ表情が再び悔しさに歪む。
次第に顔には怒りの色が浮かび上がる。
「お前らに何が分かるんだよ!!・・・って、何回も叫びたくなる時もあった。使役されている奴らの中では、僕みたいなのばっかりじゃない。確かに、僕のような身の上のやつもいるにはいるが、反対に僕らを前の世界で攻撃し続けたような奴がいるんだ。・・・そいつらがさ、・・・笑うんだよ。“そんなことで情けねえ”って・・・。殴りたいほどだった!!この世界ではもう前の世界でのようなことは考えないで済むと思ったのに・・・。僕は今でもそれに、・・・いじめられていたことに、縛られている!!なんで僕ばっかり!?逃げ出したから!?しょうがないじゃないか、そうするしかなかったんだから!!」
「アントニオさん・・・。」
「ほんと、馬鹿みたいでしょ?せっかく来たのになぁ・・・って最初は思って、自由にしてくれない主人を憎んで、逃げようと思ったけど叶わなくて。立ち向かうのなんて、そんな気力はもう持ち合わせていなくって・・・。もう疲れていて、ずっと眠っていたくって・・・。」
あふれてくる感情は押さえることが出来ない。
涙をぬぐい、それでも流れてくる目からの水滴をぽろぽろと地面に落しながら、アントニオさんが必死に作った笑顔で笑いかけてきた。
「なんか、ごめんね・・・いや、失礼しました。お見苦しいところを見せてしまって。せっかくの“カイトスの入り江”で、こんな男の涙なんて見るもんじゃないですね。一番いらないものだ。ほんと・・・すみません。」
彼の声が必死に僕に届こうとする。
かすれながらもはっきりと、僕の耳にたどりつく。
すする鼻音と共に正面に向き直った彼は、あれだけ吐露してもまだ、まったく楽になどなっていないように思えた。
それほどまでに彼は、・・・アントニオさんは考え、悩み、思い詰めていたのだろう・・・。
前の世界でも、そして今も・・・。
そして僕は、昂った感情を爆発させるアントニオさんの横で自分でも驚くほど静かに、・・・いやこうすべきだと、こうしなければアントニオさんの必死の心を受け止められないのだと思ったのだろう、自分で自分の今置かれている状況を推測し、理解できた。
それでも、その言葉を考えることはすごく怖くて、その非現実を現実と捉えることが嫌で、信じられなくて、その言葉を口にするには勇気がいった。
唇が震えている気がした・・・。
「苦しかったんですね・・・。だからアントニオさんは・・・死を・・・選んだんですね。」
僕の言葉に、悔しくて表情を怒りに満ち溢れさせ、それでも流れてくる涙を必死に拭いながら、一度コクンとうなずいた。
すでに目の前を過ぎ去って行った船から聞こえる汽笛が、小さくなりながらもどこまでも広がる真っ青な海に鳴り響く。
その動作が、・・・アントニオさんがうなずくことが、何を意味するのかということを、僕は目をつむって改めて冷静にかみしめる。
僕は・・・死んだのだ・・・。
思考能力の停止した僕と叫んで息が上がるアントニオさんの間を悠々と走りぬけてゆく。
軽やかに、かろやかに・・・。
ただ見つめていたアントニオさんの顔が少しほころんだのは、彼が叫んだ声が海の向こうに完全に消えてからだった。
「・・・そしたらさ。なんてことはない、こっちの世界はきれいだったよ。なんだか、思い悩んでいたことが馬鹿みたいに思えて、自分がひどく、どうしようもない人間に思えてさ・・・。それでも・・・、それでもだよ。僕は前の世界であんなにきつい思いをして、悩んだ末にこっちに来たのだと言うのに、この世界を満喫することはできないんだ。この世界で自由を与えられることはない。それどころか、簡単に新たな人生を歩むことも許されないんだよ。・・・使役されてる身だし、使役されるようなことをしたのだからって・・・。」
緩んだ表情が再び悔しさに歪む。
次第に顔には怒りの色が浮かび上がる。
「お前らに何が分かるんだよ!!・・・って、何回も叫びたくなる時もあった。使役されている奴らの中では、僕みたいなのばっかりじゃない。確かに、僕のような身の上のやつもいるにはいるが、反対に僕らを前の世界で攻撃し続けたような奴がいるんだ。・・・そいつらがさ、・・・笑うんだよ。“そんなことで情けねえ”って・・・。殴りたいほどだった!!この世界ではもう前の世界でのようなことは考えないで済むと思ったのに・・・。僕は今でもそれに、・・・いじめられていたことに、縛られている!!なんで僕ばっかり!?逃げ出したから!?しょうがないじゃないか、そうするしかなかったんだから!!」
「アントニオさん・・・。」
「ほんと、馬鹿みたいでしょ?せっかく来たのになぁ・・・って最初は思って、自由にしてくれない主人を憎んで、逃げようと思ったけど叶わなくて。立ち向かうのなんて、そんな気力はもう持ち合わせていなくって・・・。もう疲れていて、ずっと眠っていたくって・・・。」
あふれてくる感情は押さえることが出来ない。
涙をぬぐい、それでも流れてくる目からの水滴をぽろぽろと地面に落しながら、アントニオさんが必死に作った笑顔で笑いかけてきた。
「なんか、ごめんね・・・いや、失礼しました。お見苦しいところを見せてしまって。せっかくの“カイトスの入り江”で、こんな男の涙なんて見るもんじゃないですね。一番いらないものだ。ほんと・・・すみません。」
彼の声が必死に僕に届こうとする。
かすれながらもはっきりと、僕の耳にたどりつく。
すする鼻音と共に正面に向き直った彼は、あれだけ吐露してもまだ、まったく楽になどなっていないように思えた。
それほどまでに彼は、・・・アントニオさんは考え、悩み、思い詰めていたのだろう・・・。
前の世界でも、そして今も・・・。
そして僕は、昂った感情を爆発させるアントニオさんの横で自分でも驚くほど静かに、・・・いやこうすべきだと、こうしなければアントニオさんの必死の心を受け止められないのだと思ったのだろう、自分で自分の今置かれている状況を推測し、理解できた。
それでも、その言葉を考えることはすごく怖くて、その非現実を現実と捉えることが嫌で、信じられなくて、その言葉を口にするには勇気がいった。
唇が震えている気がした・・・。
「苦しかったんですね・・・。だからアントニオさんは・・・死を・・・選んだんですね。」
僕の言葉に、悔しくて表情を怒りに満ち溢れさせ、それでも流れてくる涙を必死に拭いながら、一度コクンとうなずいた。
すでに目の前を過ぎ去って行った船から聞こえる汽笛が、小さくなりながらもどこまでも広がる真っ青な海に鳴り響く。
その動作が、・・・アントニオさんがうなずくことが、何を意味するのかということを、僕は目をつむって改めて冷静にかみしめる。
僕は・・・死んだのだ・・・。