岩のゲートの表面には、少ないながらも草花が生えていた。


風にゆれる赤や黄色の花たちは、気持ちよさそうになびいている。


先に登っていたアントニオさんが海の方をじっと見ていた。


登り途中ながら、僕も海の方を見てみると、ゴンドラとは比べ物にならないほどの大きな船が運河に向かってくる。


まるで世界一周のための豪華客船のようだ。


その船が近づくにつれて、やはり以前にも聞いた船の重厚な汽笛の音がこちらに迫ってくる。


「あれは、・・・なんの船なんですか?」


「ああ、あれかい?あれは人を運んでくる船だよ。ソウタ君は見たことなかったか?夜になると人を乗せて旅立つ船。あれが戻ってきたんだよ。新たな人を乗せてね。従業員以外はあまり見ることが出来ないんだけど、ソウタ君は運がいいみたいだ。この世界に来るための唯一の手段があの船だよ。」


振り返ったアントニオさんが笑顔を見せる。


暗くて全部が見えなかったが、明るいと、こんなにも大きい船だったのかと、素直に驚いていた。


それにしても・・・。


あれが、・・・僕たちを乗せてきた船。


僕の頭の中には船の中の記憶なんて全くなかった。


それでもアントニオさんはあの大きな船に乗ってこの世界に来たのだと言った。


また出た、この世界という不可解な表現・・・。


「アントニオさんもあの船に乗って?」


「当たり前だよ。言ったでしょ?この世界に来るための“唯一の手段”なんだよ。ここに来るためにはあの船に乗るしかない。と言っても、僕たちみたいな過ちを持った人はあの船の中でも使役されるんですけどね。せっかくこっちに来たのに全くおもしろくもないもんですよ。」


「あの船の中でも仕事を?そんなに使われるほどの事をしたんですか?その・・・、ここに来る前の世界で?」


「リラさんに聞いたでしょう?僕たちが働くのは、前の世界で犯してしまった過ちのせいなんですよ。どれだけ苦悩の果てにこの世界に来ることを選んだとしても、僕たちの主人はそれを善しとはしないんですよ。だから僕たちは、・・・いや少なくとも僕はこの世界を選んだ瞬間から、使役される立場になってしまうんです。それほどのことをしたということなんでしょうね、傍から見れば・・・。」


どうも納得がいかないという言い方だった。


アントニオさんの表情は笑顔を飾っているものの、どこか寂しそうで、なにか思い出しているようだった。


アントニオさんは、ぼぅっと船を眺めたままその場で腰をおろし、足を海の方に投げ出す。


僕もならって同じように彼の横に座った。


「・・・その、・・・前の世界でなにかあったんですか?」


今まさに目の前を通り過ぎる客船の横っ腹をじっと見つめるアントニオさんの横顔を横目で見ながら、恐るおそる聞いてみる。


「君は見たところ・・・まだ学生だったと思うけど、学校でなかったかな?・・・その、いやがらせとか、・・・なんていうかな・・・。」


・・・ん?


学生“だった”ってどういうことだ?


僕は疑問を抱いたものの、今はアントニオさんの話を聞こうと


「・・・いじめってことですか?」


「・・・あ、ああ。そうだね。・・・その通りだよ。なにもいやがらせが起こるのは子供の世界だけじゃないんだ。大人の世界でもね・・・あるんだよ。僕がなにをしたって訳でもない・・・はずなんだ。でも、・・・なんだろうね。・・・気に・・・食わないって、ゆうんだろうねそういうの。仕事を始めてから最期までずっと、職場でいやがらせをね・・・。だから・・・、だからぼくは!!・・・だからぼくは、前の世界を捨てたんだ・・・。」


・・・え?それはどういうこと?、と言葉に出したかったが出すことが出来ずに、その場に固まる。


頭の中が考えすぎてぐるぐるまわる。


アントニオさんの言う、“前の世界を捨てた”の意味・・・。


いじめの果ての末路・・・。


僕が固まっていると、突然隣に座っていたアントニオさんが立ちあがる。


大きく息を吸って、胸をパンパンにさせていた。


目からは一筋、涙が流れていた。


「そうさ!!だからぼくは、自ら命を絶つことを決めたんだ!!自分からこっちの世界を選んでやったのさ!!僕にいやがらせをし続けたあいつらに見せつけるために!!」


海の果てまで聞こえるように、アントニオさんが両手をぎゅっと結び、両目をぐっと閉じ、出る限りの大声で、叫ぶ。


悔しさを吐き出すように・・・。


悲しさを少しでも止めるために・・・。


そんなアントニオさんの横で、座ったまま彼の顔を仰ぎ見る僕は、思考が完全に止まってしまっていた。