宗教は何を救うのか 四
人は、少し多目に雨が降っただけで死に、少し多目に太陽が照っただけで死にます。死なぬよう努力しても完全に防ぐ事は出来ません。
そこで人は畏れます。
一神教なら神の怒りと言うでしょうし、自然崇拝なら天の怒りや、何かの祟りであったり。共通するのは、どうする事も出来ない大きな力に対する意味付けです。
普段は道端にポイ捨てする方も、神社の掃き清められた境内にポイ捨てするのは気が引けるという方が多いのでは。
綺麗な場所は汚し難いという 「割れ窓理論」 だけでは説明出来ない 「畏怖」、この空間には意味があり、要らぬ事をすれば罰が当たるのでは、という恐怖心が有ると想像します。
これは、特に宗教的教育を受けた訳では無く、日本に生まれ育った経験から無意識に湧き出る感情なのだと思います。
そして、困った時には 「神様!仏様!」
どっち?w
と、何かの信者なら思うかも知れません。勿論これは神仏習合の影響も有ります。
ただ、宗教に無関心な分、無知でもあるので、その裏に潜む危険性に気付かず、良い事を言っているというだけで受け入れてしまう可能性も有ります。又は、何かを信心している人に対して、闇雲に警戒する場合もあるでしょう。
カルトへの警戒を忘れてはなりませんが、元来宗教は親切さや正直さを標榜するものです。無知ゆえに恐れるのは良い態度とは言えません。
お坊さんや牧師さんはカウンセラーでもあるはずなので、機会があれば話してみるのも良いかも知れません。勿論信徒さんでも良いでしょう。
話を聞いただけなのに、しきりに入信を勧めたり、お金が必要な話になる様であれば、カルトと認識して無視しましょう。
イベントとして楽しむ軽やかさ、それぞれの神を認め尊重する心、一部宗教過激派への怒りを併せ持つ事が出来るのは、日本人をおいて他に無いのではと考えます。
こういう輩に影響力を持たせぬ為にも、畏れを知り、多様な物事を緩やかに受け止められる私達の出番だ、と勝手に妄想しております。
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