さて、諸々書きます。

今朝のような政治の話がメインになるので、嫌な方は見ない方が吉。


この何ヶ月間かは、激しく忙しかった。

新規プロジェクトに取り組み、後輩(ただし年上)に教え、朝から晩まで仕事の嵐。

たまーにジョジョを読み、HP立ち上げの為にお勉強をし、みけやまと壮絶なバトル(私が流血する的な意味で)を繰り広げ、親と口論し、姉貴の赤子の誕生を待ち望み、一回ぶっ倒れ(首が腫れたとは別の意味で)、今に至ります。

時間軸が異常です。

そんな中でも、政治関連の情報を一次ソース中心に集めてましたが…。

何ということでしょう。

TVと新聞は強かった。

さすが。日本を戦争に導いた実績は伊達じゃない。

世論操作なんてお手の物。

負けました。

ええ。マスコミに負けました。

正直な話。

私は、政治家は詐欺師だと思っていました。

好きな首相?

そんなものいない。

しかし、それでも注目していた政治家がいました。

うちの両親が言っていた、「麻生んとこのボンボン」。

地元が近いなんて、実は知らなかったんですよ。

自分の選挙区の先生が誰かなんて知らないくらいだから。

でも、注目しました。

何故か。マスコミ相手にきっつい言葉を発していたからです。

当時からマスコミ嫌いだったわけじゃないのですよ。

ただ、不信感があったのです。

今でも忘れられないのが、阪神淡路大震災の時の、故筑紫哲也氏の言葉です。

震災直後の神戸を見て、「まるで温泉街のようです」と言いました。

この時、私はまだ学生でしたが、すごく気持ち悪かったことを覚えています。

その時から徐々に、マスコミの動きに注目するようになりました。

あ、マスコミの話はやめましょう。

本筋から離れるので。

そのマスコミに対して、容赦のない言葉を投げつける政治家がいる。

それは、私にとっては驚きでした。

当時、誰だか分らなかったので両親に聞いたら、

「ああ、麻生んとこのボンボンやろ?」

と、即座に返事が返ってきて。

はあ。麻生とかいうとこのボンボンは、ボンボンなのにすごいのね。

これが第一印象です。

ただ、たしか当時は名古屋にいたので、そこで話は終わってたんですが。

それが、「椿事件(マスコミって何なのよと思った話)」や「麻生クーデター説(検索かけてみてください)」とか意味不明な話が舞い込むうちに、ついに総理大臣となりました。

そして、その所信表明演説を見て、非常に感動しました。

その後、マスコミにはほとんど報じられませんでしたが、様々な政策を行いました。

これ、「麻生政権の実績」で検索かけてください。もし、興味がおありなら。

考えてみてほしいのです。

世界が不況に見舞われる中、日本だけが、無傷ではないですが、それでも安定した状態で生活出来ています。

解雇された方もいらっしゃいます。会社を失った方も。

でも、国民の大多数は、いつもと変わらない生活を送っているのではないですか?

何故ですか?

みんな、頑張ったのです。今でも頑張っているのです。

その頑張りを支えますと言い、それを逃げずに実行したのは誰ですか?

逆に、邪魔しかしなかった人達もいるのです。

漢字読めないバー通いホッケの煮つけ解散不況と喚くだけのマスコミ(年収は1千万とか稼いでいらっしゃる)、政権交代と叫ぶだけだった当時の野党第1党(国会休んでいろんな所をうろちょろして、でも議員手当貰ってる)とか、中からいらんこと言いまくった当時の政権与党の人とか。

そして結局、声のでかい方が勝ちました。

どれだけネガティブキャンペーンやられても、やれるだけの事を逃げずにやった第92代内閣総理大臣閣下を、私は尊敬しています。

初めて、日本の首相を好きになりました。好きになれました。

この人が国の代表として動く限り、日本は大丈夫なのだと信じられました。

狂信的ですか?視野が狭くなっているでしょうか?

「政権交代」というあやふやなものにうっすらと期待して、それ以外何も見ずに票を投じた人にだけは言われたくないですけどね、視野が狭いなんて。

でも、変わったのなら仕方がないです。

地道に麻生さんを応援していきます。


長くなりました。言いたいことの半分も言えてない。

けれど、これだけは言わせていただきたい。

私はこれからも麻生太郎議員を応援していきます。

あと、いわゆる保守派もね。


明日からは、通常通りのボケぶりを発揮しますのでよろしくお願いいたします。