■胡蝶しのぶの出身地 滝野川の明治・大正時代
①鉄道の発展
胡蝶しのぶの出身地滝野川周辺の明治・大正期の様子ですが、1883(明治16)年に王子駅が開業し、日本鉄道会社高崎線上野~熊谷間が開通、1885(明治18)年に日本鉄道会社山手線赤羽~品川間が開通しました。また、1896(明治29)年には現在の常磐線の前身である土浦線、田端~土浦間が開通し、1911(明治44)年に現在の都電荒川線の前身である王子電気軌道、飛鳥山上~大塚間が開通します。1913(大正2)年に三ノ輪~飛鳥山下が開通すると、飛鳥山の花見客で賑わいました。
②陸軍の施設
胡蝶しのぶの出身地である滝野川界隈には、この頃陸軍の兵器や爆薬を製造する施設が多くありました。1872(明治5)年に現桐ヶ丘団地に『兵器支廠赤羽根火薬庫』を開設、1876(明治9)年旧加賀藩前田家下屋敷跡に開設された『陸軍砲兵本廠板属廠』は、1879(明治12)年に『陸軍砲兵工廠・板橋火薬製造所』と改称されています。1885(明治12)年に建設された『印刷局抄紙部製薬課』の工場は1895(明治28)年に『板橋火薬製造所 王子製薬場』としてる陸軍省に移管されました。日露戦争が激化すると兵器・爆薬の増産需要が高まり、1905(明治38)年現在の後楽園にあった『東京砲兵工廠』、『鉄包製造所』を拡張するためにこの地域に移転し、それに伴い、『貯弾場』等も作られ、施設間の輸送施設として前述の電気軌道の開通が急がれました。
③滝野川の農業
胡蝶しのぶの出身地滝野川には旧中山道の明治通り周辺に『種屋街道』があり、野菜種子の販売が盛んでした。桝屋孫八、越部半右衛門、榎本重左衛門の三軒の種子屋が現在の滝野川三軒家の地名の由来で、中山道を通る旅人に名物の練馬大根の種子を販売したのが始まりと言われています。中山道を通る大名家の中には滝野川の野菜種子を求めて自藩で栽培したところもあり、滝野川の野菜種子は全国に広まっていきましたが、種子と並んで茶も土産として人気がありました。滝野川では、米・麦の他、練馬大根、蓮根が生産され、白瓜は奈良漬けとして販売されていたようです。また人参や牛蒡が名産物で、滝野川大長ニンジン、滝野川ごぼうといった江戸東京野菜として現在でも栽培されています。
④江戸時代からの観光地 滝野川
胡蝶しのぶの出身地滝野川界隈は春は桜の飛鳥山、秋は紅葉と謳われた江戸時代から有名な行楽地でもありました。原作に描かれた最期のしのぶの姿は、満開の桜並木の中、家族と抱き合うものでした。紅葉柄の着物で微笑む彼女は、かつて家族と共に見た故郷の美しい景色を思い起こしていたに違いありません。