嘴平伊之助と山の神
―大岳神社と狼信仰―
『俺は山の王だ よろしくな 祭りの神』
■大岳山の山岳信仰
嘴平伊之助の出身地とされる大岳山は、三頭山、御前山と共に奥多摩三山の一つです。明治39年の眺望の様子は、『二等三角点があるだけに眺望は極めて広闊。東には常陸の筑波山まで一望の関東平野、やや南には鹿野山、鋸山、富山など房総の山々。東京湾は盆地のごとく、中を走る汽車の煙まで明らかに見える。(武田久吉『明治の山旅』より)』。古くから農業の神として、火災や盗難の守護神として山岳信仰の対象とされていきました。山頂付近の大嶽神社では徳川幕府の江戸城守護の祈願も行われていたと言います。大嶽神社はこの地方の第一の高岳に位置し、大国主命、少彦名命、日本武尊、広国押武金日天皇、源家康朝臣が祀られています。大国主命は農業、商業、医療、縁結びの神、少彦名命は医療、酒造、温泉の神、日本武尊は武運の神と言われ、徳川家康を祀った東照宮があります。
■大岳神社の狼信仰
大岳山のある檜原村にはオイヌサマ像が奉納されている神社が多く、その中でも規模の大きいところが大岳山及び大嶽神社です。産土臣として大国主命と少彦名命が祀られ、ヤマトタケル東征後に日本武尊を合祀、その後広国押武金日天皇(安閑天皇)を合祀して蔵王権現と改めました。大嶽神社は北条氏康の加護を受け、その後徳川家康の加護を受けています。大嶽神社では蔵王権現が祀られたときからオイヌサマが蔵王権現の眷属、守護神として信仰されるようになったと言います。オイヌサマはニホンオオカミのことで、人々は狼を恐ろしい存在でありながら、畑を荒らす害獣を食べる有難い存在として祀り、信仰を寄せていました。山頂には1759(宝暦9)年に奉納されたオイヌサマ像があり、近世の間は大岳権現と呼ばれていましたが、1872(明治3)年に大岳大神、1910(明治43)年に大嶽神社と改められました。現在でも、氏子や大岳講の人々に頒布されたオイヌサマのお札が害獣除、盗難除にご利益があるとされ、家々の戸口や社殿に貼付されているとのことです。
参考文献:『檜原村の狼信仰』 西村敏也
参考HP:『小さな旅のアルバム』