七夕の由来ですが、かつての日本では夏に、選ばれた乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈ったり、人々のけがれをはらうという行事が行われていました。「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれたこの乙女は、川などの清らかな水辺にある機屋にこもって神さまのために心をこめて着物を織り上げたのですが、そのときに使われたのが「棚機」という織り機です。やがて仏教が伝わると、この行事はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになりました。また、中国には乞巧奠(きこうでん)という行事があり、織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにと、7月7日に、庭先の祭壇に針などをそなえて、星に祈りを捧げたそうです。それが、やがてはた織りだけでなく芸事や書道などの上達も願うものになりました。この二つの行事が合わさって、今日の七夕の元になったと言われています。
平安時代に乞巧奠の話が日本に伝わると、宮中行事として七夕行事が行われるようになっていきました。宮中の人々は桃や梨、なす、うり、大豆、干し鯛、アワビなどを供え、香をたいて、星降る空の下、楽を奏で、ささやかな願いを込めた詩歌を読んで、星見を楽しんだのです。梶は古くから神聖な木とされ、祭具として多くの場面で使われてきたものですが、サトイモの葉にたまった夜露を「天の川のしずく」と考えて、それで墨を溶かし梶の葉に和歌を書き、願いごとをしました。
土方歳三最期の愛刀と伝えられる和泉守兼定。その鐔の意匠は梶の葉と墨で構成された七夕図です。
『よく慶応三年という裏銘の年月だけを見て、(歳三の戦死した明治二年まで数年しか所持していなかったため)この刀はあまり使われていないなというかたがいますが、私は歳三は最期はずっとこの刀だったとみています。というのは、この刀は私の父の代に一度研がれていて、そのときは箱館から届いたままであったので物打ちには刃こぼれが見られました。また、私自身、こんなに磨耗した柄糸を見たことがありません。居合などをされるかたは、日常的に刀を握りますが、ここまで使い込まれた拵えは持ち込まれたことがないのです。この刀は、相当厳しい戦いを何度も潜り抜けてきたのでしょうね(『子孫が語る土方歳三 新人物往来社 土方愛著』より引用)。』
天の川のしずくを溶かした墨で願いごとを書いて星に願う…そんなロマンティックな意匠を凝らした刀をぼろぼろにしてしまう程壮絶に振るってきた土方歳三。私たちが、ささやかな幸せを感じる瞬間が一度でもあったなら、彼の願いも一つは叶ったことになるのかもしれません。
参考文献:『子孫が語る土方歳三』 新人物往来社 土方愛著