古高俊太郎という男 | 徒然探訪録

徒然探訪録

御訪問ありがとうございます!!ぜひ、またお越しくださいませ!!

{BA3F28B7-FD66-43A0-B274-C92D101ADD3F:01}

古高俊太郎と池田屋事件。
新選組がお好きだったり、
某ゲームをプレイするうちにその名を知り、
史実の彼に興味を抱かれた方も多いかと思います。

{7F7ACBD4-FBED-48C4-955D-DB1E4F519CA8:01}

▲『古高町民誌』

古高俊太郎の故郷では今でも彼を顕彰し、
地元の歴史誌にも彼について設けられた一説があります。

{FC0BF457-8FB3-4A8A-9999-5B8A7DF4BC98:01}

俊太郎の人となりと肖像画

  俊太郎の人となりは、知識が豊富で弁舌はさわやかであったが、その才能を表面にあらわすことなく、すこぶる穏やかで、真面目なタイプであった。また相手の立場をよく理解して考える性格であった。同志たちは俊太郎を君子の風貌があると認め慕っていた。俊太郎は人に接する場合には、常ににこにこと笑顔をもってやさしく対応をし、喜怒哀楽を顔にあらわすようなことはなかった。このような俊太郎であったからこそ、老人や子供までもが親しく慕ってきた。しかし性格としての志気は強烈なもので、約束をしたことは必ず守り、約束や決まりを破ることはなく、ひとたび志を決すると、目的を達成するまで懸命の努力をする人であった。俊太郎を一目みるとその姿は女性のようにしとやかで、しっかりとした顔付きで、髪は黒髪、眉目秀麗の美男子であった。常に和歌を好んでたしなみ、烏丸光徳卿の門下生となり、吟詠した句は甚だ多く、また女性の仕事にも通じたところがあり、裁縫や舞曲も女性に負けず上手にこなした。またその容姿が優れていたから、俊太郎の大志を知らないものは女性の様な男と見ていた。それが池田屋事件の中心人物であったと知るにおよんで、皆意外と驚きを隠せないのであった。
  俊太郎は一地方の出身者であったが、朝廷の力を盛り返し、国の基本を定めることを自分の任として活動し、同志から推薦されてこの活動の盟主となり、身を国難に殉じたのであった。そして死して後朝廷よりその功を認められ、贈位を賜る栄誉をうけたのであった。(『古高町民誌』より)