日野市では昭和のはじめごろまで、各部落でよくお日待の行事が行なわれたものです。当屋(頭家)がきまるとお米や野菜など、みんなが持ち寄って料理し、お夜食をいただき、子供たちも大いに楽しんで夜ふけまで遊びました。もちろん近くの辻にある庚申塔【こうしんとう】や、ときには床の間の掛軸の庚申さまに、お供物をそなえたりもしました。
庚申【かのえさる】にちなんで「見ざる」「聞かざる」「言はざる」の三猿を、青面金剛の下に配した庚申さまが一般に多く、それを拝んで今夜だけは慎み深く日の出を待とうというのです。
庚申は、「せざる」を入れて四猿なり 庚申の夜、妊娠すると、その子は大泥棒になるという迷信があり、石川五右衛門もそうだなどといわれました。
しかし日野のお日待は庚申に関係なく、農事の骨休みをかね行なわれたりすることもあって、ついには徹夜で酒を飲んでさわぎ、ホッピキだとか、花札などの賭博【ばくち】をしたり、「せざる」どころか、乱痴気猿や大虎になったりもしました。
いろいろ娯楽の少ない時代のこととて、止むを得ないと思ったのか、警察の旦那も大目にみたようです。
現在日野市の庚申塔は、貞享2年(1685年)以来のもので、90基くらいも残っているとのことです。
むかし、庚申信仰がどんなにさかんであったかが推定されます。
筆者:文化財専門委員 土淵英夫
原稿: 広報ひの昭和47 年 10 月 15 日号より転載』
日野の郷土史を手繰れば、土方歳三もこうしたお日待ちに参加したこともあったのかもしれないと想像も膨らむわけです。ここで言う四つ目の『せざる』は、庚申の夜に妊娠した子は大泥棒になるという迷信があると言われていたことからも、くらやみ祭りで行われていたようなこと、すなわち性の解放だと解釈出来ます。かつての農作業には極めて苛酷なものが多く、それをやり遂げた時の御褒美が性的解放というわけで、農作業の労働唄に極めて性的要素の多いのにはこういったところに理由があるのかもしれません。講や厄落としと称して堂に籠り、男女が雑魚寝して、性の解放に至ることもありました。
『春、秋の慰労には信貴山が多く、毎月の縁日に詣る信者たちで講を組んでいるが、昔からの古い信仰らしく道明寺詣りが盛んで、ついでに西国札所、葛井寺に詣るのがコースである。信貴山へ詣ると付近の旅館で一泊するが、広間でザコネした。初めてでどうするのかわからずに迷っていると、近所の天ぷら屋の娘がこっちへおいでと誘ってくれる。組を作ってねるわけでもなく、好きな者を誘ってねるのであった。田舎のお堂のオコモリと同じで、みんなが性交するわけではない。ここもオコモリであるから、気の合ったものが組んでねるだけである。(『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』 筑摩書房 赤松啓介著)』
これは西国の話ですが、ここでいう『田舎のオコモリ』は日野のお日待ちのようなものも含んでいることでしょう。
『春、秋の慰労には信貴山が多く、毎月の縁日に詣る信者たちで講を組んでいるが、昔からの古い信仰らしく道明寺詣りが盛んで、ついでに西国札所、葛井寺に詣るのがコースである。信貴山へ詣ると付近の旅館で一泊するが、広間でザコネした。初めてでどうするのかわからずに迷っていると、近所の天ぷら屋の娘がこっちへおいでと誘ってくれる。組を作ってねるわけでもなく、好きな者を誘ってねるのであった。田舎のお堂のオコモリと同じで、みんなが性交するわけではない。ここもオコモリであるから、気の合ったものが組んでねるだけである。(『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』 筑摩書房 赤松啓介著)』
これは西国の話ですが、ここでいう『田舎のオコモリ』は日野のお日待ちのようなものも含んでいることでしょう。
また、女性は32~34歳が厄年とされていますが、その昔大阪地方では、この厄払いのために清水寺の名月会式に参拝し、そこで参拝客の男に貞操を買ってもらって、その代金を賽銭にすると厄払いになるとされていたそうです。
『もともと清水寺は摂津、丹波、播磨三国の国境にあり、山頂の山は森林で深くかなり広い平面があった。名月会式には三ヶ国の信者たちが登山、山頂の寺や堂の前に集まって、それぞれの国ごとに分かれて大盆踊りを開く。播州は吉川音頭、摂州は江州音頭、丹波はデカンショと大競演になった。晩の六時頃から翌朝の六時頃までの徹夜で、つかれると寺や堂舎で横になって休むが、意気投合した男と女とは、そこらの山林の中で木の根を枕に、草のシトネということになる。そこで周辺のムラ、ムラで一晩に三ヶ国の盆踊りが見られるし、一晩で三ヶ国の女の味が賞味できると大評判になっていた。(『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』 筑摩書房 赤松啓介著)』
京に上った土方歳三が清水寺の名月会式に繰り出して、厄落としの為に参加していた人妻と一晩の…なんてこともあったかもしれません。
『もともと清水寺は摂津、丹波、播磨三国の国境にあり、山頂の山は森林で深くかなり広い平面があった。名月会式には三ヶ国の信者たちが登山、山頂の寺や堂の前に集まって、それぞれの国ごとに分かれて大盆踊りを開く。播州は吉川音頭、摂州は江州音頭、丹波はデカンショと大競演になった。晩の六時頃から翌朝の六時頃までの徹夜で、つかれると寺や堂舎で横になって休むが、意気投合した男と女とは、そこらの山林の中で木の根を枕に、草のシトネということになる。そこで周辺のムラ、ムラで一晩に三ヶ国の盆踊りが見られるし、一晩で三ヶ国の女の味が賞味できると大評判になっていた。(『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』 筑摩書房 赤松啓介著)』
京に上った土方歳三が清水寺の名月会式に繰り出して、厄落としの為に参加していた人妻と一晩の…なんてこともあったかもしれません。
参考HP:『ひの史跡・歴史データベース』
参考文献:『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』 赤松啓介著(筑摩書房)