土方歳三 祭りに行く | 徒然探訪録

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  『宿場のはずれに出たころ、野良がえりの知りあいから、
 「トシ、どこへ行くんだよう」
 と声をかけられたが、だまっていた。
 まさか女を強姦しにゆく、とはいえないだろう。
 今夜は、府中の六社明神の祭礼であった。俗に、くらやみ祭といわれる。
 歳三のこんたんでは、祭礼の闇につけこんで、参詣の女の袖をひき、引き倒して犯してしまう。
 そのときユカタをぬいで女が夜露にぬれぬように地面に敷く。
 着ている柔術着は、女の連れの男衆と格闘がおこった場合の用意のつもりだった。
 歳三だけが悪いのではない。
 そういう祭礼だった。 
 この夜の参拝人は、府中周辺ばかりでなく三多摩の村々はおろか、
 遠く江戸からも泊まりがけでやってくるのだが、一郷の灯が消されて浄闇の天地になると、
 男も女も古代人にかえって、手あたり次第に通じあうのだ。  (司馬遼太郎著 『燃えよ剣』)』

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  『燃えよ剣』の冒頭では、祭りへと繰り出す歳三の姿が描かれています。祭りには豊作を祈る神事という側面もあり、豊作という言葉は、命を授かることを意味するものでもありました。命を生み出せるように祈る行為が祭りであり、性交を隠喩するものでもあったのです。ここで描かれている大国魂神社の『くらやみ祭』も厳粛な神事としてとり行われていました。巫女が神楽を舞い、宮堂に男女が御夜籠りして神を迎えるのです。そして、神事の行われる真夜中は、社地や氏子の集落一帯は燈火を消して、雨戸を解放しておくという約束になっていました。祭りの期間だけ、この暗闇の中での情交が許されたのです。

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  のみの四月に 蚊の五月 六月 せみの鳴きくらべ 
盆の月には 盆踊り 
好いたふたりで シャシャンのシャン

  多摩地方では、かつてこのような盆唄が歌われていました。谷野の盆踊りです。豊田村の後家さんが谷野の盆踊りに出掛けたら、新しいお相手が見つかったのだとか。豊田は日野から一駅で、土方歳三の生家からも近いところです。土方歳三もこういったお祭りに出向いては、年頃の娘さんや妙齢の女性と楽しんで、生を謳歌していたのかもしれません。

参考文献:『盆踊り 乱交の民俗学  下川耿史著(作品社)』