明治期、警視庁を退職した斎藤一は『東京女子高等師範学校』の官吏を勤めました。『東京医科歯科大学』はその跡地にあたりますが、門前の桜が新入生たちを歓迎するかのように花を咲かせています。
程近い『神田明神』では『さくらまつり』が開催中でした。
『神田明神』も昔からの桜の名所です。
この日も夜桜見物に多くの人が訪れていました。
『われわれは会津に来て、諸方の戦いで盟士(隊士)の多くが戦死し、わずか十四人だけが残りました。(新選組の)隊名を後に起きこそうという志はあるものの、ひとたび会津に来て、今まさに落城しようとするのを見ると、志を捨てるのは「誠義」ではないと思います。確かに仙台藩の塩松内蔵太とは「将軍山(勝軍山、母成峠)の一戦後に、仙台行き」と約束しましたが、このような事態になってはやむをえません。私は後顧を思わず、隊名とともにここに死のうと思います(意訳 「谷口四郎兵衛日記」)』
参考文献:『新選組隊士録』 新紀元社 相川司著