『丸善』というと、文具や書籍の百貨店というイメージがありますが、最近はカフェが併設されている店舗もあり、こうしたカフェではハヤシライスが名物になっています。『丸善』のハヤシライスは濃厚で深みのある甘口のソースが特徴です。『丸善カフェ』のメニューには、早矢仕ライスと表記されています。なぜなら、ハヤシライスを考案した人物は丸善の創始者早矢仕有的であり、丸善のカフェで提供されるこの一品は彼の名をとって名付けられたからです。 早矢仕有的は医師の家の生まれで、自身も医師を目指し、18歳の若さで開業医となりました。開業してからも多くの医師の元で技術を学びながら、慶応義塾にも入塾し、福沢諭吉からも教授を受けます。戊辰戦争の最中でも有的の果敢な学びへの精神は怯むことなく、その真摯な姿は福沢の目に留まります。福沢は開国によって諸外国の介入を受け、国益が奪われていくことを憂いていました。福沢は早矢仕の中にそのような憂いを打破できそうな商才を感じ取り、商いに携わることを勧めたのです。福沢の思いを汲みとった早矢仕は明治2年、『丸屋商社』を開業します。世界を見据えた商売を志していた早矢仕の屋号は『丸』、地球を示すものでした。丸善は、福沢の著作や医療品、医療器具の輸入等で大成功を収め、次々と近代的な事業にも進出していきます。 有的は医師だった頃、滋養強壮の為、患者たちにも牛鍋の残りをご飯にかけて食べることを勧めていました。そして、家に訪れた学友たちには、あり合わせの肉や野菜で牛鍋に似た即席鍋を煮込んでは振る舞っていたと言います。この時の牛鍋もどきが『早矢仕のライス』。これがいつしかハヤシライスと呼ばれるようになり、今では文明開化の薫り漂う一品の代名詞となったのです。
参考文献:『江戸東京幕末維新グルメ』 竹書房 三澤俊博著