北条五代ゆかりの地を巡るー幸せの鈴 北条氏政・氏照墓所ー | 徒然探訪録

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 小田原駅東口を出て錦通りの方に歩いていくと、左手におしゃれ横丁という小さなアーケードが見えてきます。この路地を進むと、北条氏政・氏照の墓所はひっそりとありました。この写真の右側にちらりと写っています。

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  ▲北条氏政・氏照の墓所。
横丁の景色にすっかりと溶け込んでいて、地元の人たちからも手厚く供養されてきたことが伺われます。

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  右の大きな五輪塔が氏政夫人、左側が氏照、そして中央が氏政のお墓です。氏政、氏照のお墓の前にある平たい石は生害石といい、氏政・氏照らはこの石の上で自刃したと伝えられています。墓所に設置された説明板には左と中央の墓碑の戒名についての記述はありますが、右の北条夫人のものとされる墓碑の戒名については言及していません。ですが、どうやらこの墓碑に記された戒名は黄梅院のものとは違うようで、この小田原の地で亡くなった鳳翔院か側室を弔うためのものだったと考えています。鳳翔院は氏政が黄梅院と離縁した後、継室となった人ですが、その出自さえも明らかにされていません。ただ、氏政の母瑞渓院と同日に亡くなっていることから、この日に瑞渓院とともに自害したという説が濃厚であり、瑞渓院の血縁にあたり、姑に従わざるを得なかった身分の年若き女性だったのではないかと思っています。女性たちも一族を守るために人質として他家に嫁いだり、その名誉を守るために殉じていった時代でした。

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  氏政・氏照の墓所には沢山の『幸せの鈴』が結ばれ、花が絶えることもありません。

幸せの鈴

箱の中の『鈴』に、民を思う領主の優しい心が、きっと宿っています。
ここに眠る北条氏政・氏照は、長引く秀吉との攻防戦の中、戦渦にまみえる領民を思い、
開城を決意したと伝えられています。
願い事をかけて『鈴』を持ち帰り、かけた願いがかなったら、
『幸せの鈴』を結びに来て下さい。
『幸せの鈴』がいっぱいになれば、ここに眠る領主への、
なによりの供養となることでしょう。


参考HP:『歴探』