北条五代ゆかりの地で小田原おでんを味わう | 徒然探訪録

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 小田原は風光明媚な土地柄と永い歴史を誇る城下町であり、相模湾からの海の幸、足柄の良質な農産物と山の幸を1つ鍋に凝縮したのが小田原おでんと言えるでしょう。小田原の老舗蒲鉾店13社をはじめ、豆腐屋、こんにゃく屋、八百屋、精肉屋等、様々な地元商店が趣向を凝らし、小田原ならではの資源を生かして新しい食文化を創ろうと、多様な業種の垣根を越えて、協力し合いながら、オリジナルの特徴あるおでん種を創出してきました。毎年春にはおでんサミットが開催され、そこで行われるおでんコンテストを勝ち抜いたおでん種は季節を追って商品化されてきましたが、そんな地元のアイデアが詰まったおでん種も、もう30種を越えています。

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▲小田原おでんが食べられる駅近の『一膳飯屋 八起』
KTプラザのB1Fにあります。

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▲落ち着いた雰囲気でまったり飲める昭和レトロな店内。
大人歴女達が集う女子会にもお薦めです。

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 うめ酒ッピー(梅酒×ホッピー)でおでんをいただきます。口当たりの良いお酒に、ついついお箸も杯も進んでしまいそう。小田原おでんは梅味噌でいただくのが、地元お薦めの食べ方です。梅干も数ある小田原の名産品のうちの1つですが、梅干の薬効や腐敗を防ぐ作用に目を付けた北条早雲が陣中食として奨励した為、足柄地方では当時梅の木が家ごとに必ず2・3株は栽培されていたそうです。戦国時代、梅干は戦場で倒れたり、疲労した時に唾液を催させて息切れを防ぐ息合薬として、また、飲料水や傷口の消毒にと、食中毒や伝染病の予防にも活用されていました。戦場で泥などが付着するのを防ぐために梅干に紫蘇を巻くようになり、これが紫蘇巻梅干の由来になったとも言われています。江戸時代になると奥ゆかしくも優美な姿が観賞用としても見直され、全国的に普及していったようです。東海道の往来が増えるにつれ、箱根の関所に近接する小田原も宿場町として大きく発展し、携帯しやすく、雨や霧に強い小田原ちょうちんとともに、小田原の梅干は、東海道を行く旅人達の喉の渇きを潤し、お弁当の腐敗を防ぐために、そしてまたお土産としても重宝されてきました。梅干には①疲労回復 ②ガン・動脈硬化予防 ③二日酔い解消 ④食中毒防止 等の作用があるとされています。早雲の享年は88歳とも伝えられ、平均寿命が40~50歳だったこの時代においては長寿だったと言えるでしょう。早雲は兵たちに梅干の携帯を義務付けたり、生産を奨励しただけではなく、自身も好物としていつも傍らに置いていたそうです。梅干には高血圧や動脈硬化の発生を抑える作用もあり、唾液を促す作用は老化防止や若返りのホルモン分泌を活発にさせるのにも繋がります。宿敵の三浦氏を滅ぼし、相模を平定したのが、若くても60歳前後だったと伝えられる早雲。そのバイタリティー溢れる生き方の傍らにいつもあったのが、気候や海の恩恵に浴する小田原の地に育まれてきた良質な梅、それは時には観賞用として心を潤し、またそれを大事に漬け込んで作られた梅干は食を通して心身ともに彼の支えの1つとなるものだったのかもしれません。小田原おでんの梅味噌にはそんなエピソードもつまっていたりするのです。