土方歳三の出自と後北条家の関係について | 徒然探訪録

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江戸城無血開城の直後、新選組副長の土方歳三は
勝海舟に流山で捕縛された局長近藤の助命を嘆願し、
島田魁らわずかな腹心の部下とともに
国府台に集結していた旧幕府軍脱走兵に合流しました。

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土方歳三の出自については、以前拙い記事を書いてもおりますが、
その生家は、かつて後北条家に仕えた三沢十騎衆の土方家がルーツだと言われています。

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旧幕府軍が国家的なクーデターを目論み、土方歳三を参謀に押し立てたこの地で、
その約300年前、北条氏綱、氏康らも激戦を繰り広げていました。

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第一次国府台合戦では氏綱が足利義明を、
第二次国府台合戦では氏康が里見義弘を破り、辛くも勝利しています。

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このニ度に渡る激戦に耐え、北条氏は関東での地位を固めていったのです。

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▲土方歳三の菩提寺 『高幡不動尊』
五重塔の裏手に見える不動ヶ丘にはかつて高幡城があり、
平山氏が後北条家の家臣としてこの地の知行を任されていました。

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高幡不動尊の奥殿には氏政の弟、氏照が所持していたと伝えられる薙刀も所蔵されています。

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日野のそば処『ちばい』は、日野や新選組について多くの著作を残されている
郷土史家故谷春雄氏のご子息、亨司氏が営まれているお店で、
新選組局長近藤勇ゆかりの梅の木もあり、
新選組ファンなら一度は訪れてみたい場所です。

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『ちばい』は日野用水沿いにありますが、この日野用水も氏照の許可を得、
佐藤隼人が罪人を使役して開削したものです。
室町時代、日野市域は後北条家の支配下にあり、滝山城(のちの八王子城)城主氏照は
多摩地域の開発を積極的に進めていました。

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土方歳三の足跡を辿るというタイトルで記事を書いてきた拙宅ですが、
それは後北条家ゆかりの地を巡ることにも繋がっていたのです。


参考HP:日野市HP