先日、小田原城を訪ねました。
この前の大河ドラマ『軍師 官兵衛』の放映でも丁度秀吉の小田原攻めのあたり、北条氏政・氏直親子の説得にあたる官兵衛の姿が描かれていました。官兵衛は北条の説得・小田原城開城に成功しますが、秀吉はここでまた所領安堵の約束を破り、北条氏政に切腹を、子の氏直には高野山への追放を命じています。氏政の切腹後、氏直も高野山に追放されてからわずか1年で亡くなり、北条五代の時代も終焉を迎えました。
この日はお祭りだったようで、ニの丸広場のあたりには多くの屋台が立ち並んでいました。
この日小田原城を訪ねたのはプロジェクションマッピング『北条五代百年絵巻』を拝見するためです。
小田原城天守閣の壁一面に、百年にも長きに渡り、小田原を治めた北条五代の夢を、
プロジェクションマッピングで描き出すという試みで、
お城の天守閣でプロジェクションマッピングを行うのは世界初だそうです。
プロジェクションマッピングで描き出すという試みで、
お城の天守閣でプロジェクションマッピングを行うのは世界初だそうです。
北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直、彼らが生前に遺した言葉を使い、
戦国の世を駆け抜けた歴代城主たちの人間味や生き様がシルエットで投影されていきます。
戦国の世を駆け抜けた歴代城主たちの人間味や生き様がシルエットで投影されていきます。
関東で理想の国家を築こうと、伊豆・小田原へ進出し、相模一国を治めた北条五代の祖早雲。
領国をさらに拡大し、東国の盟主としての地位と北条氏の基盤を確立した氏綱。
10倍もの兵力差を覆して河越夜戦に勝利し、戦国大名としての地位を固めた氏康。
上杉、武田の小田原攻めを退け、五代中最大に領国を拡げるも、秀吉に敗北し、自刃した氏政。
重臣の裏切りにあいながらも、自身の切腹と引き換えに自軍の兵の助命を嘆願した氏直。
相模湾に臨む難攻不落と称えられたこの城で織りなされた人間ドラマが、500年もの月日を経、
世界初の試みとして、若い力による最新の技術でこの平成の世に蘇りました。
世界初の試みとして、若い力による最新の技術でこの平成の世に蘇りました。
このプロジェクションマッピングの上映は9月月末に終了しておりますが、
またこのような試みの実現がなされることを切に願ってこの記事を締めくくりたいと思います。
またこのような試みの実現がなされることを切に願ってこの記事を締めくくりたいと思います。
参考HP:『北条五代観光推進協議会』