ハナショウブの成立 | 徒然探訪録

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 ハナショウブの観賞は、約800年前の鎌倉時代から始まっていたようですが、実際に栽培が行われたのは江戸時代の寛文年間(1661年~)で、尾張藩主の徳川光友が江戸屋敷の戸山荘に植えて観賞したのが初めだと言われています。1849年に松平左金吾により、江戸ハナショウブの育成一大ブームが巻き起こりました。

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▲雲衣装(江戸)

 江戸ハナショウブは、ハナショウブ園に植えつければ土手や築山から花の立派さを十分に誇示出来るので、平咲の品種が好まれたと言われています。改良が進むと、八重咲、奇花咲(外花被や内花被片の他、雄芯が花弁化して10数枚の花弁になったり、花弁の形が変化したもの)の品種が育成されました。

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▲夏姿(江戸)

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▲深窓佳人(江戸)

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▲宇宙(江戸)

 この『宇宙』という品種は江戸時代には『あおぞら』とも詠ませたそうです。江戸ハナショウブは『江戸っ子の粋』がはっきりと現れている品種群とも言えます。

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▲池の漣(肥後)

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▲紅姫(肥後)

 肥後ハナショウブは、肥後藩主細川斉護が江戸の松平左金吾より譲り受けたハナショウブを育成し、発達させていったものです。武士道をたしなみ、質実剛健を表現するように大輪・豪華絢爛で見ごたえがあります。

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▲四海波(伊勢)

 伊勢ハナショウブは紀伊藩主吉井定五郎を祖として品種改良が続けられてきた品種で、主に鉢植えで観賞しますが、露地植えにも適します。花型は三英花が多く、外花被が縮れて縮緬状になり大きく垂れ下がる、あるいは波打つ等、優雅な印象を持つ品種が多いのが特徴です。