歴史研究家 あさくらゆう先生と行く 幕末史跡と新選組隊士の足跡を訪ねる てくてくミニツアー開催① | 徒然探訪録

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9月8日(日)に『歴史研究家 あさくらゆう先生と行く 幕末史跡と新選組隊士の足跡を訪ねる てくてくミニツアー』が催されます。日曜開催で、残念ながら参加出来ないため、同じコースを廻ってみました。

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▲『延命寺』の『首切り地蔵』

南千住駅から程近いこの周辺はかつて小塚原刑場があったところで、この首切り地蔵は刑死者の菩提を弔うために、寛保元年(1741)に造立されたものだそうです。

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▲回向院

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回向院には、安政の大獄で刑死した吉田松陰や橋本左内、頼三樹三郎らの墓所があります。


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▲円通寺


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円通寺の『黒門』は明治40年に上野から移築されたのですが、彰義隊と官軍が上野で激戦を展開していた当時、その激戦区の中心に建っていたものです。

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弾丸の痕が無数に見られ、当時の戦闘の激しさを今に伝えています。


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また、円通寺境内には彰義隊隊士の墓や碑等もあります。


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▲大鳥圭介の碑


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▲新門辰五郎の碑


新門辰五郎は浅草の火消しでしたが、将軍上洛の際、徳川慶喜の警護や二条城の防火を任されたり、江戸城無血開城の折にも慶喜に同行したりしています。辰五郎の娘は慶喜の愛妾だったそうです。また、江戸城無血開城についての会談が決裂した場合、江戸市中に放火するよう、勝海舟から命じられていたと言います。


参考HP:『円通寺』HP
     『わたしのしごとー七種泰史ー』