東京スカイツリーに行ったなら | 徒然探訪録

徒然探訪録

御訪問ありがとうございます!!ぜひ、またお越しくださいませ!!

photo:12

東京スカイツリーの周辺にも新選組の足跡を見ることが出来ます。



photo:17

『霊山寺』へのMAP



photo:01

『霊山寺』



photo:02

甲州勝沼の敗戦後、近藤らと別離した永倉は芳賀、原田らとともに靖共隊を結成しましたが、『霊山寺』はこの靖共隊が一時駐屯したお寺です。



photo:18

『報恩寺』へのMAP



photo:03

photo:04

『報恩寺』参道



photo:05

『報恩寺』



photo:06

大鳥が率いた旧幕府脱走軍はこの『報恩寺』に駐屯し、国府台へと向かったようです。MAPからもわかる通り『霊山寺』とは目と鼻の先です。靖共隊は旧幕府軍脱走部隊の後軍に付属していたので、兵士たちの行き来はあったかもしれませんね。また、『鬼平犯科帳』尻毛の長衛門の舞台となったお寺でもあります。



photo:13

photo:14

photo:15

photo:16

『中島登覚書』に『明十一日、小梅村ヨリ直様市川駅ヲ過、鴻ノ台二一泊。此夜、脱兵凡三千余人同所エ集会ス』とありますが、現在の向島一丁目周辺がかつての小梅村にあたり、今でも『小梅』の名を残す通りやお店があります。



photo:08

『常泉寺』。隣地は水戸藩下屋敷で、幕府からは葵御紋の使用を許され、高い格式を誇っていました。島津斉彬公も祈願に訪れ、篤姫も輿入れ直前に『常泉寺』境内に墓所のあった近衛家と養子縁組しており、それが縁でこの『常泉寺』に篤い信仰を寄せていたと言います。



photo:10

『隅田公園』



photo:09

『隅田公園』はかつて水戸徳川家の下屋敷、小梅別邸が置かれていたところです。



photo:11

烈公として知られる斉昭公が駒込別邸で謹慎を命じられた際、改革派の中心であり、高名な水戸学者であった藤田東湖も蟄居を命じられましたが、彼が蟄居の日々を送ったのもこの屋敷内の長屋です。明治維新後には水戸家本邸が置かれました。最後の将軍慶喜もこの小梅邸を度々訪れ、趣味であった写真の被写体にもしています。



スカイツリーに行ったついでにちょっと足を運んでみるのも面白いかもしれません。



参考文献:『新選組隊士録』相川司著(新紀元社)
     『土方歳三日記』菊地明編著(筑摩書房)
参考HP:『會東照大権現』
   『史跡写真集』