『日野宿本陣』。本陣は、公家・大名・旗本や幕府役人専用の宿所です。
現在残る脇本陣は本陣に次ぐ補助的な役割を持つ宿所です。本屋敷の当主佐藤彦五郎は、長屋門の一室を天然理心流の道場にしていました。近藤、土方、沖田、井上ら新選組隊士らの出会いの場となったのがこの道場だったのです。
『日野宿本陣』の中に入ってみましょう。こちらからあがります。土間から広間にあがる式台の蹴込み板には『流水紅葉』の彫刻が施されています。
広間を通り、『玄関の間』へ。本陣に来た大名や幕府役人たちはここを通り、上段の間へと上がって行きました。この『玄関の間』で土方歳三が昼寝をしたと言われています。
『式台』。玄関にあたるところです。
『式台』の装飾。蛙股というそうで、佐藤家の家紋『源氏車』が彫られています。
見逃してしまいそうですが、『式台』の床に小さな『瓢箪』があります。
玄関の間の釘隠しは菊。釘隠しは柱と長押が交差するところに打ちとめられた大きな釘の頭が表面に見えないように隠すための装飾です。釘隠しにもそれぞれ意味があり、部屋の特性に合わせたものがつけられています。
その奥は『控えの間』、ここに土方の写真を持ち帰った市村鉄之助が匿われていたと言います。
『控えの間』の釘隠しは逆さ蝙蝠。中国語で蝙蝠の『蝠』と『福』の音が同じであることから福の象徴とされています。福は自由奔放なので、逆さにして留め置くということで、逆さになっているそうです。
『控えの間』の奥は現在『上段の間』として公開されている部屋です。『上段の間』は公家や大名など、身分のある人が宿泊した部屋でした。もともとの『上段の間』とその続きの一間は現在彦五郎の四男の養子先である『有山家』に移築されています。こちらはかつての『下の間』『中の間』にあたる場所になります。
現在の『上段の間』の釘隠しも菊です。
『控えの間』と『上段の間』をつなぐ欄間には季節の花々が彫り込まれています。
欄間のはめ込みを変えた際にか、左側の秋冬の花、『萩』と『南天』の順序が逆になってしまっています。
縁側に出ると床に大きな瓢箪が現れます。『有山家』に『上段の間』を移築した際、庭にあった『瓢箪池』を埋めてしまったそうですが、それを名残惜しんだ当時の大工さんの粋な計らいで縁側の床にかつては『瓢箪池』があったことが残されたのです。
『瓢箪池』にいた鯉の姿も現在の『上段の間』の柱に彫り込まれています。説明板の置かれた奥をのぞいてみて下さい。その柱を鯉が登っています

その先の部屋は『納戸』。彦五郎夫妻のプライベートルームにあたります。この部屋の天井は新選組隊士大石鍬次郎が張替したのだとか。
その隣の部屋は『仏間』になります。
彦五郎夫妻の部屋の釘隠しはつがい兎。子孫繁栄を表すと言います。
こちらは『土間』です。
この御庭にかつては『瓢箪池』があり、鯉も泳いでいたのでしょう。
御庭から見た『日野宿本陣』
『旧長屋門大扉・潜戸』。本陣を入ってすぐ左側、書籍売り場コーナーを振り返るとあります。近藤、土方、沖田、井上ら天然理心流の門下生が佐藤道場に来た際潜ったとも言われています。

『日野宿本陣』を左手に見ながら、『日野駅』へと向かう途中、左手に『八坂神社』が見えてきます。
『八坂神社』には安政5(1858)年に奉納された天然理心流の剣術額があり、この剣術額には近藤、井上、沖田らの名も記されています。お祭り両日には近藤、井上、沖田らの名が記されたこの『天然理心流奉納額』が公開されています。拝観料¥100。12日8:45~11:40には八坂神社剣道奉納試合が行われます。

『八坂神社』から出て直進、パレードは今あなたが直進してきた道を全面通行止めして行われます。『日野駅』が見えてきました。お疲れ様です。きっと、新選組を愛する仲間との多くの出会いがある素敵な旅路になることでしょう。
明日は『ひの新選組まつり』の初日ですね

各寺院、博物館や資料館等の拝観時間や拝観料などは文字の色が変わっているところをクリックしてみて下さい。リンク先で確認出来るかと思います。まとめてご覧になりたい場合は前述の『ひの新選組まつり』の文字の色が変わっているところにとんで、記事をお読みいただけたらと思います。
当ブログがお祭りに参加される方の素敵な思い出作りに少しでもお役に立てましたのなら幸いです。
思い出に残る沢山の出会いがある楽しいお祭りになりますように


