旧水戸街道より江戸方から小金宿へ。右手に『永妻屋』が見えてきます。屋号は『あめや』、代々六右衛門を襲名し、土方が小金宿を通過したとされる以前から、この水戸街道小金宿で飴の製造販売をしていたようです。藤風庵可長はこの永妻家の先祖で、小林一茶と同門であった所縁から、一茶もこの『あめや』に宿泊したと言われています。
▲少し進むと左手に虚無僧寺一月寺跡。鎌倉時代初期に建立され、江戸時代には関東地域の普化宗諸派の寺院を統括したと言いますから、土方ら旧幕府軍が小金宿に宿陣した際、彼らの行軍がこのあたりを通り過ぎたかもしれません。
▲さらに進むと同じく左手に小金宿の旅籠『玉屋』跡が見えてきます。
1868年5月3日、土方歳三は国府台に集結した旧幕府軍脱走兵と合流。
翌日行われた軍議にて旧幕府軍前軍の参謀に任命されました。
その夜、土方の所属した旧幕府軍前軍はこの小金宿に宿陣したと言います。こちらの『玉屋』跡は、このあたりでは往時の旅籠の佇まいを残して現存する唯一の建物だそうです。
『玉屋』跡を左手に見ながら通り過ぎ、少し歩くと同じく左手に『東漸寺』が見えてきます。
この『東漸寺』には土方の所属した旧幕府軍前軍が宿陣したと言います。
この日は休日だったので、屋台が出ており、子どもたちがかき氷などを買い求めて、屋台の人たちとのやりとりを楽しんでいました。
山門を潜って境内へ。
『予告』画像に使用した『仁王様』
心地よい風が鮮やかな緑の葉を揺らして、さらに奥へと誘います。
境内も新緑が眩しく、青空が綺麗です。
境内には『明治維新の志士 竹内廉之助と哲次郎兄弟の碑』があります。
明治維新の志士 竹内廉之助と哲次郎兄弟の碑
兄弟は幕末天保年間に小金宿に生まれ、父に学問、剣術を学び、やがて二人で江戸に出、漢学や剣術の修行に励んだ。そこで尊王攘夷思想に目覚め、水戸天狗党の筑波山挙兵に兄と共に弟哲次郎も参加した。(1864年没、24歳)
廉之助はその後、新政府の赤報隊幹部になるなど明治維新で活躍した。(1868年没、31歳)
平成22年6月 松戸史談会 五十周年記念
▲観音堂
▲本堂
紅葉の季節も楽しみです。
『東漸寺』前のスダジイ。かなりの巨木なので、旧幕府軍が宿陣した時代からあったものではないでしょうか。
駅側へ進むと、右手にこの路地が見えてきますが、この路地に入ってすぐ左手に『小金宿本陣跡』があります。
小金宿本陣跡
江戸時代、街道の宿駅には大名や幕府役人、公家などのために本陣と呼ばれる専用の旅宿が設けられていました。ここ小金宿の本陣は、屋号を井筒屋といった大塚氏が代々経営していました。
松戸市教育委員会
北小金駅のサティ前に『八坂神社跡碑』と『水戸街道道標』があります。
道標は2本あり、それぞれ『右 水戸道中』、『右 水戸街道』と記されています。こちらを右折して水戸街道へ。
土方らの所属した旧幕府軍前軍は小金宿から布施へ、布施の七里ヶ渡から利根川を渡って戸頭方面へ逃れ、守谷、水海道を経由して北関東へと、近藤捕縛後、流山から逃走してきた田村銀之助ら新選組隊士達も布施河岸を経由し、会津へと向かっています。
『布施入口』の標識が見えてきました。
『布施入口』の交差点のところにある『常夜灯』。昔は集落の中心に設置され、信仰の対象として街道沿いの常夜灯が道標とされていたそうです。この常夜灯が建てられたのは文化7年(1810)だということなので、土方ら旧幕府軍前軍が布施に入った時にもこの地にあったことになります。
この常夜灯があるところに追分蕎麦屋さんがあります。
『追分蕎麦 根戸屋』というお店です。
『追分蕎麦 根戸屋』
住所:千葉県柏市根戸477ー2
TEL:04(7131)4830
住所:千葉県柏市根戸477ー2
TEL:04(7131)4830
▲店内
▲メニュー
もり、かけならワンコインで食べられます

▲もり ミニネギトロ丼セット ¥890
▲セットのミニネギトロ丼も中々のボリュームです

地元でよく目にする田舎蕎麦より白く柔らかめのお蕎麦でした。
コーヒーのサービスもあります

『布施弁天通り』の標識が見えてきました。
『布施弁天』と併設するようにある『あけぼの山公園』の日本庭園にちょっと寄り道
『布施弁天』の近くに沢山の庚申塔がありました。
地震の被害によるものか、倒壊してしまっているようなものもあります。

お天気も良く、素敵な眺めでした

季節ごとの花々も楽しむことが出来ます

『布施弁天』の近くに沢山の庚申塔がありました。
地震の被害によるものか、倒壊してしまっているようなものもあります。