『戦国BASARA』スタンプラリーで進呈していたクリアファイルの背景にもなっていた『真鍋の桜』を紹介します。土浦市立真鍋小学校の校庭の中央に立つ5本のソメイヨシノは『真鍋の桜』の名で地域の人々から親しまれ、100年以上にも渡って多くの子どもたちの成長を見守り続けてきました。
『同校には、桜にちなんだ恒例行事がある。咲き誇る桜の木の下を、6年生が新1年生を「おんぶ」して歩く「お花見集会」。30年以上続く、全校児童参加の新入生歓迎行事。子どもたちが満開桜を囲んで楽しそうに触れ合う様子はなかなか見ることのできない光景だ。
5・6年生が所属する「サクラ委員会」も同校ならでは。生育状況や枝葉の変化などを観察して記録するほか、落ちた葉や枝を拾い、桜を守る呼び掛けも行う。桜に興味を持ってもらえるよう、真鍋小以外の名所を調べて掲示したり、クイズを給食の時間に放送したり。開花時期になると、全校児童に開花日を予想するプリントを配布し、結果をお花見集会で発表するのが恒例になっている。
本校舎1階の桜ホールに面した廊下の下に掲示されている「お気に入りの場所”学校の桜の木の下”」。虫探しやケイドロ遊びをしている、汗をかいた時、木陰に行くと涼しいから好きー。子どもたちの言葉から、桜が学校生活の中に溶け込んでいる様子が伝わってくる。
体育の授業や運動会も、桜が立ち並ぶ校庭で行う。児童や教員にとっては、いつも通りの風景。宮本健次副校長は「確かに大変な面もあります」と言って笑顔を見せる。「子どもたちにとって今は、桜は当然あるものかもしれない。でも卒業して将来ほかの土地に移り住んだら、自分の学校を誇りに思う時がくると思うんです」
桜は1907(明治40)年、現在地に学舎を移設した際、卒業生が新校舎落成記念に寄贈したものと伝わる。当初、南側の土手に植樹されたが、1928(昭和3)年に始まる校地拡張と、その後の校舎新設によって土手が取り払われ、校舎の中央に位置する現在の姿になった。
校庭の真ん中に桜ー。真鍋の桜が広く知られるようになったゆえんだが、「桜の木を残したことにこそ価値がある」と保存会のメンバーは口をそろえる。「植樹した年から考えれば、当時は若木だったはず。伐採して運動場を広くした方が、子どものためにはいいと考えるのが自然。残したいという特別な思いがあったのでは」
戦争や大震災をくぐり抜け、100年もの間、子どもたちを見守ってきた5本の桜。過去には病虫害に侵され、腐朽や立ち枯れの危機にひんしたこともあった。その際、卒業生で「花おじいさん」と呼ばれた地元の男性が駆除や枝の切り取り作業を続けた。その後、地元の住民も動いて保存会がつくられた。
元校長の小泉光正さんも特別な思い入れがある。教師生活最後の3年間を過ごし、かつては自分も学んだ母校の桜。創立130周年の節目の年にPTAや各地区長らに呼び掛け、活動休止状態だった保存会が復活した。
「真鍋の桜を教材として活用してもらえるように、学校に働きかけたい。資料や写真の提供など保存会も協力したい」と話すメンバー。「たくさんの人の力や思いによって受け継がれてきた価値ある桜。後世に残すためには、地域が協力してあすを担う子どもたちに伝えていかなければ」
(シニアふるさと通信2013年4月第4号より引用)』
来年も見事な花を咲かせ、桜の木の下にはきらきらした子どもたちの笑顔が溢れることでしょう。