斎藤一所縁の地を巡る・番外ー湯島・妻恋神社ー | 徒然探訪録

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宇都宮についての記事は廻ったところについては一通り書きましたので、一旦お休みにして、先日麻綾さんと歩いた湯島・水道橋の記事に戻ります。


湯島聖堂から湯島天神へ向かう交差点には『妻恋神社 夢枕』と書かれた大きな看板が大変目立っていました。

丁度湯島天神への通り道にありましたので、お参りしていくことに。

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『妻恋神社と夢枕

 その昔、日本武尊の東征のおり、三浦半島から房総へ渡るとき、大暴風雨に会い、妃の弟橘姫が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救った。
 途中尊が、湯島の地に滞在したので、郷民は尊の妃を慕われる心をあわれんで、尊と妃を祭ったのがこの神社の起りと伝える、後、稲荷明神(倉稲魂命)を祭った。
 江戸時代、妻恋稲荷と呼ばれ、関東惣社と名のり王子稲荷と並んで参詣人が多かった。また、正月二日の晩に枕の下に敷いて寝ると、よい夢を見るという縁起物の木版刷りの「夢枕」が売り出された。

 ”お宝お宝と大音声に呼ばわったり”(宮島丈原)「福寿鶴亀」と「七福神の乗合宝船」の二枚の夢枕は、万治年間(1658~61)に創案され当社が版権を所有していた。叛木は、戦災で焼けたと思われていたが、昭和五十二年十二月摺師の家で見つかった。
 幻の夢枕は、関係者によって日の目を見て、売り出されるようになった。(文京区教育委員会設置の説明板より)』

命懸けで愛する人を守ったんですね…弟橘姫。悲恋ではありますが、謂れも名前もちょっとロマンティックな響きです。


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▲拝殿。


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▲妻恋稲荷神社。


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『関東総司 妻恋神社』と書かれた旗が沢山たてられていましたが、『総司』というのは関東近にある稲荷神社の総元締のようなもののようです。


『妻恋神社』
 文京区湯島3-2-6