
▲日野宿本陣について少し。
嘉永二年(1849)の正月十八日の大火で古くからの母屋は焼失してしまったので、今あるのは文久三年(1863)四月に上棟して、翌年の元治元年(1864)から住み始めたものです。
着工までに実に十年も費やされたとか。
日野の名主佐藤彦五郎の家で、幕府の偉い方々や高貴な方々の宿泊所となる本陣として指定されていました。
佐藤彦五郎は自衛の必要性から、天然理心流宗家近藤周助に学び、この日野宿本陣に佐藤道場を設け、ここに出稽古に訪れていたのが、後の新選組の中核を成す近藤勇、土方歳三、沖田総司といった面子でした。
佐藤彦五郎は土方歳三の姉、のぶと結婚しており、歳三とも遠戚関係にあります。歳三も実家にいるより、ここにいた方が肩身の狭い思いもしなかったのか、よく訪れていたようです。
佐藤彦五郎は新選組のスポンサーのような人で、近藤らが京都に上洛してからも支援を続け、近藤や土方らも書簡を送ったり、親交が続いていました。
今度は内部について少し。

▲こちらから入るのですが、框が高いのです。框が高ければ家への侵入を一瞬遅らせることが出来るので、侵入された側も構えることが出来るし、鴨居を低くしておけば、刀を振り回すことが出来ないということで、このような仕様になっているそうです。「流水紅葉」の彫刻が施されています。

▲玄関の間。本陣にいらしたお偉方はここを通って入っていきます。この部屋で土方が昼寝をしたということになっています。時系列的にはちょっと?らしいですが、大人の事情ということで。
「文及武及」と書かれた書が飾ってあります。文武両道という意味らしいですが、のぶのぶって読めてしまって、奥さんの名前を二回書いてあるように思えてしまいます。

▲控えの間。お偉方に追随してきた人たちが詰めていたところです。土方の遺品となった件の写真を日野に持ち帰った市村鉄之助はここに匿われていたと言われています。

▲納戸と仏間。佐藤彦五郎夫妻が暮らしていたお部屋です。