菊が累の怨霊に取り憑かれて苦しむ様はこのように描写されている。
『まず苦しみの体たらく、日ごろには百倍して、宙に揉みあげ顛倒し、五体も赤く熱脳し』
『まなこの玉も抜け出し』
『床より上へ一尺あまり、浮きあがり浮きあがり、宙にて五体を揉むこと、人道の中にして、かかる苦患のあるべしとは、……見るに心も忍びず、語るに言葉もなかるべし』
西洋でいう悪魔憑きの記録と似ているのだ。
菊の病状は、解離性トランス障害、19世紀、パリのサルペトリエール精神病院で記録されており、後弓反張という診断名がつけられているものと酷似している。
菊は14歳、当時と今では違うが、それでもまだ不安定な年頃だったには違いない。
母の死、まだその悲しみが癒えなかった頃にも関わらず家のために望まぬ結婚をさせられる…、閉鎖的な村の暮らしの中で、菊は自分でも気づかぬうちにその精神を少しずつ病んでいったのだろう。
また、村人たちの噂から自分の父が殺人を犯していたことを知ったとしても不思議ではない。
累は果たして本当に怨霊だったのか。
反り返ったまま四足で階段を駆け降りる…某映画のおぞましい場面が現実にも起こり得ることなのは否定出来ない。
解離性同一性障害≒多重人格障害、ミス・ビーチャムの事例や、記憶に新しいところだと『24人のビリー・ミリガン(ダニエル・キース著)』などを思い浮かべていただけたらと思う。
『死霊解脱物語聞書』に書かれた菊の病状は、彼らと同じ解離性同一性障害の症状を顕しているようにもとれる。
累は菊のもう一つの人格ではなかったか。
菊がそのような症状を顕した原因を考えてみる。
①望まぬ結婚によるストレス
母の死後すぐ、また13歳という年齢から家の為、父の老後の為に結婚させられたのは明らかだが、これは農村では当たり前のことであり、直接の原因とは思われない。
②父が実は自分の妻を殺していたことへの恐怖と憤怒。
累は自分の母ではないが、自分の父親が妻を殺していることに大きな嫌悪感は抱いただろう。また、この事実を知り、自分の生みの親も本当は父に殺されたのかもしれないと疑ったこともあったのではないだろうか。
③父のしたことから夫が妻を殺すのは大いにあり得ることであり、自分の夫となった男もいつか自分を殺すかもしれないとの懸念、恐怖。それに対する牽制の意味としての累の人格形成。
累の人格形成においては、③が一番大きな原因となったのではないかと考えている。
自分の死に対するストレスを累という人格に落として、菊は自分を守ろうとしたのではなかったのだろうか。
累のように、夫に疎まれ、殺されても、村人たちはきっとまた見てみぬふりをして過ごしてゆくのだ。菊はたとえ夫に殺されても何も言うことのできない妻という立場になってしまったのである。父も殺人者だった。家の中はもはや安全ではない。父も夫も己の利益の為に、自分を殺すかもしれないのだ。いつ殺されるかわからない恐怖というのは、人を狂わせるのではないだろうか。ましてや決して裕福とは言えない生活の中では。
抑圧され、鬱積した菊の苦しみがこのような病状として現れたのではなかったか。
そのように考えられなくもないのである。
そして、そう考えると現代にあっても普遍的な怖さが込み上げてくる気がするのだ。
参考文献:『妖怪学談義(菊池章太著)講談社』