しかし、まだ累の怨霊は鎮まってはいなかった。
またもや、菊の体に取り憑き、今度は自分の供養のために石仏の建立を迫ったのだった。
石仏の建立には金がかかる。どこにでもあるような農村、村人たちがそれほど裕福に生活出来ていたとはとうてい考えられない。
もちろん、村人たちはその話を断ろうとした。
だが、累は菊の体を責め苛み、そのあまりの苦しみ様を見かねた名主らが折れて、石仏の建立を約束したのだった。
村人たちは累の怨霊を弔いながら、彼女に自分たちの先祖の霊があの世でどうしているのか尋ねてみた。
累は菊の口から言った。
『お前たちの先祖は皆地獄で苦しんでいる』と。
それを聞いて村人たちは怒り、累の霊を罵倒したが、累は、村人たちの先祖が、過去人知れず犯してきた悪事を詳細に発きたてていく。善人と思われていた者たちも実は罪を隠していたのだった。
村は騒然とし、この事件は周囲の村々にも知れ渡ることとなってしまった。
名主は頭を痛めた。
村人たちの悪事が明らかになり、代官の詮議でも受けようものなら、村の存続自体が危うい。
何より、累の目的は、自分の存在を抹殺した村全体に対する報復、そこにあるのだから。
累は菊の体から離れる気配もない。
村人たちは藁にもすがる思いで、飯沼弘経寺の僧侶、祐天を頼った。
祐天の除霊は困難を極めたが、それでも最後には累の怨霊は屈服し、菊の体から去っていった。
だが、翌月菊は累に取り憑かれたときと同じ状態になってしまう。
祐天が累かどうか尋ねるとすけという子どもの霊だという。
ほとんどの村人は誰もすけという子どもの事を知らなかったが、祐天の話を聞いて、村の年寄りがこんな話を始めた。
彼がこどもの頃、累の父親である先代の与右衛門が妻を娶ったが、その妻には連れ子がいた。その子どもは体が不自由で、将来労働力として期待出来ないため、親に殺されてしまったのだった。与右衛門とその妻はその後何事もなかったかのように仲むつまじく暮らし、そのうち子どもを授かった。それが累である。しかし、累は彼らが殺したすけと同じ障害を持って生まれてきたのであった。
すけの霊に話を聞くと、累の霊が成仏していくのを見て羨ましく思い、自分も成仏させて欲しくて、菊の体に取り憑いたのだと云う。
祐天の術により、小さなこどもの霊がゆらゆらとその影を表すと、村人たちはその姿を哀れに思い、熱心に念仏を唱え、すけの霊もやっと成仏出来たのだった。
菊はこの事件の後、出家を望んだが、祐天はそれを許さなかった。菊は改めて婿をとり、念仏を唱えて暮らした。そのうちに田畑はよく稔るようになり、家は栄えた。菊は72歳まで生き、二人の子どもにも恵まれたとのことである。
『累ヶ淵』の大まかなあらすじは以上のような感じである。
参考文献:『妖怪学講義(菊池章太著)講談社』
『学研 幽霊の本』