累ヶ淵考②ー累ヶ淵のあらすじー | 徒然探訪録

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昨日の続きより。

菊の母親が亡くなったその年に、与右衛門は菊に金五郎という婿をとり、めあわせる。菊13歳の年であった。

自分の老後を考えてのことであったが、翌年の正月から菊は奇妙な病状を見せ始めるようになっていく。

『果たして其の正月廿三日に至って、たちまち床に倒れ、口より泡をふき、両の眼に泪を流し、「あら苦しや、耐えがたや。これ助けよ。誰はなきか」と泣き叫び、苦痛逼迫してすでに絶え入りぬ』

『ややありて息出で、眼を怒らかし、与右衛門をハタとにらみ、詞をいらでて云うよう、「おのれ、我に近づけ。噛み殺さんぞ」と云えり』

『「我は菊にあらず、汝が妻の累なり。廿六年以前、絹川にて、よくもよくも我に重荷をかけ、無体に責め殺しけるぞや」』

与右衛門に殺された妻、累が、怨霊となって菊に憑依し、与右衛門に襲いかかったのである。

『我が怨念の報う所、果たして汝がかわゆしと思う妻、六人を取り殺す』

与右衛門が累の殺害後に娶った妻はいずれも早世だったが、これもすべて累に取り殺されたためであった。

菊に憑依した累から身を守るため、与右衛門は近くの法蔵寺に避難した。ここには今でも累たちの墓が残っている。

菊の病状を見た村人たちから事の真相を追及される与右衛門であったが、あくまでしらを切り通そうとした。

しかし、『所のものみている』の記述通り、累の殺害を目撃している人物は複数おり、累は菊の口からその名を口にした。「法恩寺村の清右衛門、やつこそ私の最期を見届けた張本人だ」
与右衛門の悪事もとうとうあかるみになってしまった。

また、累はその恨みを、自分の殺害の実行犯である与右衛門だけではなく、事の真相を黙殺してきた村人たち全てに向けていたのであった。

名主の三郎左衛門をはじめとする村人たちは評議の末、念仏を興行して、累の菩提を弔った。勤行を続けた結果、累の怨霊は去り、お菊も元の姿に戻ったかに見え、取り憑かれていた時の体験談などを村人たちに話し始めるのだった。

参考文献:『妖怪学講義 (菊池章太著)講談社』 
     『学研 幽霊の本』