日野駅から少し歩くと右手に宝泉寺が見えてきます。こちらは新撰組六番隊隊長井上源三郎のお墓があるお寺です。宝泉寺を右手に見ながら、道沿いに進みますと、同じく右側に八坂神社があります。八坂神社には安政5年(1858)に奉納された天然理心流奉納額があり、この剣術額には近藤勇、沖田総司らの名があります。奉納額の公開日は新撰組ひの祭り、八坂神社例大祭の当日ということです。
八坂神社を通り過ぎ、さらに10~15分程道沿いに歩くと右手に「日野宿本陣」の白い看板が見えてきます。5~6台くらい停められそうな駐車場がありますが、この駐車場になっているあたりにあった長屋門を改装して天然理心流の道場が開かれ、近藤、土方、井上、沖田、山南ら新撰組の中核をなすメンバーはこの地で出会うこととなるのです。
なぜこのような剣術道場が日野に開かれたのか。
それは幕府により、八王子千人同心が配置されたことと大きな関わりがあります。このような組織が配置されていたため、この地では自衛が強く意識され、剣術を身につけようとした人々も多かったのではないかと思います。
そのあたりの話やなぜ日野の人々が最後まで幕府のために戦い抜いたのかというような話は私はまだまだ勉強不足で数行にはなってしまうかと思いますが、後々少し触れるつもりです。が。
まずは本陣について。
本陣はそれぞれの地域の有力者の邸宅であることが多いのですが、参勤交代などの際の、大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家のことです。多くが取り壊されてしまっており、日野を含む甲州街道に現存する本陣建物は小田原、下花咲、日野のたった3つ、都内に現存する唯一の本陣であるのが日野宿本陣なのです。
この日野宿本陣にありましても、嘉永2年(1849)正月十八日の大火により、古くからの主家は焼失してしまい、現存する建物は佐藤彦五郎が10年に渡る歳月を費やして準備を進め、文久3年(1863)四月に上棟し、翌元治元年(1864)に住み始めたものだということです。ですので、日野宿本陣には土方歳三が昼寝をしたと言われる玄関の間というのがありますが、こちらは残念ながら、時系列とは合わない可能性があるようです。しかし、日野という地が土方歳三にとって、新撰組を結成してからも幾度も便りを送って、ひと時でも立ち寄りたいと思った場所であったのは真実ではないでしょうか。
また、上段の間とその続きの一間は有山家(佐藤彦五郎の四男彦吉の養子先)に移築されているそうですが、非公開ということです。
<日野宿本陣>
開館時間:9:30~17:00(入館16:30まで)
休館日:月曜日(休日の場合は翌日)、年末年始
入館料:大人200円 小人50円