そして入院、退院して☀️ | MOTOKIのキセキ

そして入院、退院して☀️

2023年 12月 30日(土)


ご無沙汰ですね🏥!😷?!🚙💦

〜色々あってありすぎて〜


⭐️)一部内容を変更しております。


​お久しぶりの投稿です。八ヶ岳に移住して約2週間後に左肩(上腕頭骨)二箇所を骨折しまして、富士見高原病院に入院しておりました。
また骨折部分は綺麗に折れてて?!保存的治療(自然のままに)で経過をみる状態。
ですが、骨折部分がズレて骨が癒着すると手術になりますよ!と担当医の先生からお言葉をいただきました。
そうなるとアームバンドで肩から腕を固定し、その上から腹巻ベルトで更に肩を固定したガチガチの姿で約3週間の入院生活。
これ、すごく、ツラい。
その前に肩、めっちゃ×2イタイ。

日々の生活を想像してみてください。
左手は使えません(固定されてて動かせない、それより肩が痛くてムリ)
その状態で病院の食事はお椀が持てない。ご飯はおむすびに、料理は全て串が刺さって片手でもいただけるようにと、変わりました。有り難かったです。

お手洗いは、ごめんなさい。
トイレットペーパーを片手で巻き取るのは辛い。使うのは、ある場面では、もっとも辛い。

お風呂、その前に服脱げない。
実際に骨折してから10日後に入浴(介護していただきシャワーを)しました。服は6日後まで脱げなかったです。

その他、タオルを絞れない(片手で絞る方法はリハビリで教えて貰いました)、服のファスナーを合わせるコトが出来ない、閉めるまでホンマ大変。

ですが、骨折したのは左肩。

右手(利き手)は無事。
お箸は持てる。字は書ける。だいたい出来る。
足も無事。何処でも歩いていける。
身体も骨折以外は健康。
さぁ次だ。と思える程メンタルはよくなくて。

何故今、止まったのか? 仕事の面接の予定も無くなって…。
移住する前からのコトもアタマの中で回りはじめて…。
持参したノート🗒️に、その回りはじめたモヤっとしたコトを言語化して(憤りや怒りや悲しみ等は、文字にすらならない状態でした)見えるカタチにして毎日毎日吐き出しました。
それと同じ位に感謝の思いも。

えほん村の館長松村雅子さん、えほん村村長の松村太三郎さん。そのえほん村の女性スタッフさんたちにも。横浜の人生の先輩である友人にも。
地元は四日市の従姉妹にも。

友人のAkiraさん、直人さん、
友子さん、百合子さん、明子さん。
ホンマに物心両面、入院するまで、退院してからも迷惑を掛け、またそれ以上に助けられ、支えてもいただきました。

その中、励ましのお言葉もいただき、みなさん本当にありがとうございます。

「助けてください」わたしが、ギリギリになっても言えなかった言葉です。
恥ずかしい、かっこわるい、情け無い、今更どうやって等、ホンマにプライド、見栄を張ってたって、現情は変わらないし、わたし自身苦しかったです。

声をあげて助けを求める。
この事が、どれほど大事か。

我慢していればなんとかなる?
それは、わたし自身を大切にしていないんです。
心の声に、蓋をして、見ぬふりをして。

でも、声上げました。いえ、声を上げるように、諭されました。
「今のMOTOKIさんの状態、誰も知らないよ」
察して欲しい、分かって欲しい、なんて、
自分から、ちゃんと言わなきゃ、伝えなきゃ。
それこそ、わたしに自分自身に素直になって。
ありのまま、見栄もはらず、カッコつけずに、
「助けてください」
その後、みなさんからのたくさんの叱咤激励を受けて、涙が止まりませんでした。
ホンマに、本当に、悔しくて、悲しくて、辛くての氣持ちが、楽になって、喜んで、嬉しくて。

幸せな時でも、泣いてしまうんです。わたし。
みなさん、ありがとうございました。



当初、入院期間は骨の固定が解ける3週間までときめていましたが途中病棟内でインフルエンザが流行し、わたしもその波に乗ってしまい8日間隔離されました。怪我人から病人にもなりましたね。
結果退院したのは12月11日。
リハビリもその分だけ少し遅れました。

富士見高原病院さんでの入院生活で見て体験したコトも、またアップします。

24時間完全看護の現場は凄いです。本当に。
看護師さん、介護士さん、リハビリスタッフさん、関わる全てのスタッフさん、担当医の先生。
ひとがひとをささえています。

わたしたちの日常生活のすぐ隣りに在る世界です。




今日のまんぞくした瞬間


​駆け込み投稿大晦日前日



南アルプスの空