私はもともと音楽家である。

若かりし頃はプレイヤーとして舞台に立ち、23歳で制作会社を設立したと同時に裏方に回った。

作詞・作曲した作品は、これまでざっと数百。20代はディレクターとして活動し、30歳の頃にはプロデューサーとしてメジャーレーベルから制作を一手に請け負ったりした。

音楽を心から愛している。他のビジネスでは多少あざといこともしてきたが、音楽に関してだけは、とことんストイックに向き合ってきた。

 

そんな私からすると、現代では音楽は終わった。

いや、正確にいうなら、音楽業界が終わったというべきか。

 

つい先日、若手のミュージシャンとやらがテレビのインタビューでこう言っていた。

「音楽っていうのは、MVまで含めて初めて成立するものなので。。。」

 

何を若造がわかったような事いっているのだ。

ふざけんじゃない。

 

私からいわせてみれば、音楽が終わり始めたのは、プロモーションビデオ(現在のMV)というものが作られてからだ。

聴くものから、観るものに変わった瞬間である。

その完成形は、マイケルジャクソンかもしれない。いや、マイケルは良い。というか、素晴らしい。

マイケルの曲は、聴くだけでも凄まじいクオリティを誇っていた。

そこにダンサーを引き連れて、これまた凄まじいダンスパフォーマンスを見せてくれるのだから、これを超えることは難しい。

 

私が「終わった」と言っているのは、そういう次元にまで及ばないくせに、口先だけで「音楽」を語る連中のことである。

 

 

その昔、世界にはテレビがなかった。ラジオだけが情報や娯楽を支えるメディアの時代があった。

ママは、庭で洗濯を干しながら、ラジオを流していた。

そんなラジオから、あらゆるジャンルの曲が流れていた。

中には、バンド・アレンジや歌い方にものすごい個性を打ち出すものもあった。

ラジオだけで聴く者にショックを与えていたのである。

 

例えば、歌手。

歌に集中すれば、声帯を微妙にコントロールする際(高い声や低い声で微妙なニュアンスを出したり)、発声に集中するあまり、「変な顔」になってしまったりする。

モノマネ師は、そういう変な顔を真似して世間を笑わせた。

 

ところが、である。

テレビやビデオが当然になってからというもの、歌い手は、「格好良い顔」をすることに集中するようになった。

顔を気にしていたら、発声に集中なんかできない。当然、歌は二の次になっていったのである。

 

テレビはビデオの罪悪はまだある。

昔は「プレイ」する姿を見るだけで満足できたものだが、最近ではダンスが必要になった。

観る者たちが、もっと面白いものを見たいという欲にかられ、そして発信する側(エンターティナー)が、これに迎合した。

一人でダンスするより、大勢の方が迫力がある。

そうやって、1人〜2人が歌い、そのバックでクラス全員で踊るようなパフォーマンスが横行しはじめた。

 

ダンスの型も、日本・韓国共に、オリジナリティのかけらもない。

どこかで見たような、R&BとかHipHopとかの真似ごとばかりである。

これなら、チアダンを見ていた方が、はるかにエキサイトできる。

どこかで聞いたことがあるようなメロディーと歌詞に、鼻先で歌うような弱々しく魂のこもらない歌、そしてバックはクラス全員でダンス。。どこを見ても同じである。もう勘弁して欲しい。

 

本物のディレクター、プロデューサーがいなくなってしまったのだろうが、それにしてもひどい。

本物がいない。

玉石混交、、、どころか、玉がどこにも見当たらない。

 

何度も言うが、音楽は「聴く」ものなのである。