智仁勇 | 光の伝道、60兆分の1の細胞から自分軸を| Happy Wing

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智仁勇
未来を、つなぐ!成功思考

「プチ決断で、ココロ前進」

壇ノ浦で決着がついた源平の戦
その後、源氏の兄弟の戦が続く

武勇に優れていた源義経は
兄、源頼朝に退けられ
弁慶とともに奥州へ逃げる

途中、安宅の関でのやりとりは
子供ながら感動した記憶があります

金沢の小松駅前には
この伝説を説明する
銅像がありました
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逃げる義経に対し、頼朝はこれを捕らえようと各地に関所を設けます。当、安宅の関守は冨樫左右衛門泰家。そして文治3年(1187年)3月頃、山伏姿に変装した義経弁慶以下主従が安宅の関にさしかかります

弁慶は機転を利かし
何もか書かれていない勧進帳(寄付帳)を読み上げ、難を逃れようとしました

しかし義経が疑いをかけられると、弁慶はすかさず金剛杖を持って主義経を打ち据えます。冨樫は弁慶の忠誠心に心をうたれ、義経一行だと気付きながらも関の通行を許したのでした

弁慶の「智」
泰家の「仁」
義経の「勇」

と語り継がれて美談として能「安宅」
歌舞伎「勧進帳」として
長く演じられています



日本よりも何千年も歴史のある中国では「仁智勇信美」が人生哲学の原点と
説いています

一文字一文字に意味がありますが
先の智仁勇もここから生まれたのでは
と思います

心に響くことは
今も昔も大昔も
何も変わらない

そういうこと、


ちなみにこの小松市
あの重機で有名なコマツを生み出した街でもあります

先の銅像とは反対側には
巨大な重機と本社の建物がありました(^^)
この重機、ゆうに二階に届く位の高さがありました、戦車より大きい?何をする重機なのか分かりません、、
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世界に誇れる会社は
至るところにあります



最後まで、お読みくださり
ありがとうございました。
タカ&トシ