昔よく、祖母が話してくれた話には、銭湯の岩の話があった。

 

遠い昔、おじいちゃんと結婚したおばあちゃんがやってきた町には、小さな銭湯があった。どこの町にも見る、小さな銭湯だ。番台さんは昼日中から、気持ちよさそうに眠っていたり、テレビをぼんやりに眺めていたりする、そんな平凡な景色だった。

おじいちゃんと週末にはその銭湯を訪れる。まだ稼ぎも少なく、家に立派な風呂がないためだった。

 

長風呂のおじいちゃんを外で待つのが嫌で、少しのぼせ気味になりながら、おばあちゃんもがんばって長風呂をする。ぬめぬめとするお湯を浴び、上がる頃にはいつも髪がつやつやだ。健康の秘訣は、あのお風呂だった。おばあちゃんはそう言う。

 

それからおじいちゃんの稼ぎが増えて、引っ越してから行く先々の銭湯に入ったけれど、どうも肌艶も髪の艶も、あの銭湯ほどうまくない。おばあちゃんが話してくれる話はいつも最後はここで終わる。

 

おじいちゃんが亡くなって、おばあちゃんは家を引き払った。家族が心配する中で、おばあちゃんはひとり、あの銭湯のある町に移り住んだ。それから、おばあちゃんが亡くなるまでのあいだ、毎週末にはそこを訪れていたそうだ。

 

母は、そんなおばあちゃんのこだわりがずっとわからないでいた。自分が生まれる前の話で、行ったことはない。後におばあちゃんが町に戻ってから連れて行ってくれた銭湯は、天然温泉が売りのスーパー銭湯だったという。

そんな景色の何が良いのか。母はずっとわからないままだ。

私は少しだけ、この話の続きを知っている。

 

長々とお風呂から出て来ないおじいちゃんに、髪が冷えるまで待たされるおばあちゃんは、ある日おじいちゃんにその長風呂の秘訣を聞いた。するとおじいちゃんは「岩を見ているんだよ」という。銭湯の中に岩?と、不思議に思うけれど、その銭湯には男の湯にだけ岩が一つあるそうだ。その銭湯ができた時からのこだわりだそうだった。

そこの番台さんは、「ここは天然温泉だ」といつもおじいちゃんたちに話したという。おばあちゃんは信じなかったが、おじいちゃんは、うなづき、その話を信じた。その岩を見つめて、何をしているのか。おばあちゃんは聞いた。おじいちゃんは「愚痴を吐いている」と言った。

家でも、会社でも、岩のように押し黙っているおじいちゃんは、岩の前では愚痴を吐いていたのだ。それが、おばあちゃんには愛おしかった。おばあちゃんは、おじいちゃんのきょうの愚痴はなんだろうか。そう思いながら、おじいちゃんの長い風呂に付き合っていたそうだ。

 

時代を経て、その銭湯はスーパー銭湯へと変化した。「天然温泉」の看板を掲げ、風情ある店構えでは、県内で高い評価を得ていた。そんな流行りの銭湯では、毎日大勢の人が訪れる。おばあちゃんは、その店づくりに驚いたそうだが、入ってみると、露天風呂にあの岩を見つけたそうだ。おじいちゃんの話す、頭が斜めに削れて、窪みにお湯がたまる、不恰好な岩。この露天風呂の世界観から少し浮いた、岩がある。

それを見て、すぐにおばあちゃんはあの岩だとわかったのだと話してくれた。

そうして、毎週末におばあちゃんは、おじいちゃんが聞かせた愚痴を、その岩から聞くのだそうだ。

長い人生を振り返りながら、おじいちゃんの愚痴に耳を傾け続けていた。

 

私は、この話を30歳のおばあちゃんに聞いた。30歳のおばあちゃんは、「未来を見た」と言って語り話してくれた。

いつも通う銭湯が、立派な店構えのお風呂屋に変わっていて、あの眠そうな番台さんは若い娘になって何人もいたという。

繁盛するその銭湯の中には、おじいちゃんの話す岩があった。それを話そうと、おじいちゃんを待っていたのに、やってくる人、やってくる人、おじいちゃんではない。何時間か経って、休憩所で眠り込んでしまって、目が覚めたら、私は自分の体がおばあさんになっていることに気づいたという。「私は未来を見ていたの」、おばあちゃんはあの日、私にだけ語った。