

「おはよう」
亡き骸かと思ったら、
生きてたのね。
慶者堂に在り弔者閭に在り (けいしゃどうにありちょうしゃりょにあり):
めでたいことと不幸なことは、隣り合わせてくるということ。祝いの客が家の中にいるうちに、弔いの客が村の入り口まで来ている意味から。「堂」家。「闇」村里の門の意味。
注:
朝から暑い日が続くだけあって、洗濯物はよく乾く。せっかくなので、朝から干すべく玄関先を開けたところ、足もとに横たわるセミの姿。時季的にも亡き骸だ、どうしよう?…と、考えあぐねていたところ、なんとモゾモゾ動き出しす。「おお、よくぞ生きていた!脳震盪か?」と安堵したものの、いざというとき、こうした自然の亡き骸は、他の生き物に食べてもらえるよう自然に帰すべきなのか、それとも、ゴミと一緒に葬るべきなのか。おとといは自然に帰したものの、後悔したんだよね、哺乳類なら“野ざらし”だもんな、…という、自然生物への対応の煩悶。
※野ざらし(野晒し)…
野外で風雨にさらされること。また、そのもの。
風雨にさらされて白骨化した人間の骨。特に、その頭骨。されこうべ。