「心身一如」という言葉があるが、そもそも心と体は一つであって、明確に分離出来るものではない。
精神と肉体は、便宜上二つに分けているに過ぎない。
人間ならば、外から見た場合を肉体、内から観た場合を精神と呼んでいるが、両者が融合して一人の人間を形成しているのであって、別個に心と体が存在しているわけではない。
精神に動揺が起これば肉体に歪みが生じ、肉体に問題が生ずれば精神が影響を受ける。
嬉しいことがあれば疲れが吹き飛び、体にいい運動をすれば気持ちが整う。
嬉しいことがあれば疲れが吹き飛び、体にいい運動をすれば気持ちが整う。
心身は一如であるが故に、体を軽視してはならない。
よって精神を磨くには身体を訓練するのが最も有効となる。
武士は精神を鍛えるために、剣術や体術、弓術や槍術など、武道によって心身の鍛錬に励んでおり、肉体の鍛錬を忘れることなく日々を生きていた。
武士は精神を鍛えるために、剣術や体術、弓術や槍術など、武道によって心身の鍛錬に励んでおり、肉体の鍛錬を忘れることなく日々を生きていた。
いつ刀を抜いて戦う場面に遭遇するか分からない世の中にあって、抜刀するのが今日であっても恥をかくことがないよう、熱心に稽古に励むのが“武士の稼業”であったと言える。
では現代人である我々が戦う場面とはどのような状況だろうか?
武士の時代で言えば生きるか死ぬか、その瀬戸際の状況であっただろう。
しかし我々日本人は生まれながらにして平和な世の中を生きている。
むしろ平和な世の中しか知らない。
むしろ平和な世の中しか知らない。
餓死する心配もなく、病気や怪我で亡くなることも、世界から見てもその確率はかなり低い。
このような状況で、万一危機的な状況(何かしらの保障が途絶えるなど)が訪れたとしたら、果たして我々は自分の力で自分の人生を最後まで全うすることができるのだろうか?
この先も何も起こらないにこしたことはないが、最近の世界情勢を見ていると、どうも私が生きている間は安泰に人生を過ごすことは難しいのではないかと思えてしまう。
ましてや自分の子供や孫が暮らす将来の地球は様々な環境の面で不安な点が数多く見受けられる。
本当に何か重大な問題が家族や親戚、自分の周りで起こった時に彼らを助けられるのだろうか?
その問題を解決するためにも、日々体を鍛えるであるとか頭を鍛えるということは人生にとって非常に大切なことである。
さて、これを呼んでいるあなたは、今の自分に対し不安はないだろうか?
何が起こっても大切な人を絶対に守りきると言えるだろうか?
その問題を解決するためにも、日々体を鍛えるであるとか頭を鍛えるということは人生にとって非常に大切なことである。
さて、これを呼んでいるあなたは、今の自分に対し不安はないだろうか?
何が起こっても大切な人を絶対に守りきると言えるだろうか?