メモ
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ソナタを作ったり再生したりするのは、もはや演奏者ではない。彼は、自分がソナタに奉仕しているのを感じ、他の人たちは彼がソナタに奉仕しているのを感じるのであり、まさにソナタが彼を通して歌い、あるいは演奏家がそれについていくために「急いで弓を握りしめ」なければならぬほど突然ソナタが叫び声をあげるのだ。
(『見えるものと見えないもの』「絡み合い-交叉配列」 メルロ=ポンティ 滝浦静雄・木田元訳)
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昔、写真をよく撮っていた頃があって、といっても10年ぐらいずっと撮っていたのだけど、写真に関わる人ならたぶん上に挙げた言葉は日常的な感覚として感じていることだと思う。
たとえ自分が決めた構図でタイミングでシャッターを切ったとしても、撮れた写真は自己表現ではない。自己表現なんてほんとうにちっぽけなもの。写真にはいつも知らないものへと開かれる可能性がある。それを頼りに次のシャッターを切っていく。急いで弓を握りしめる。
知らないものへ開かれていくこと。意図せず開かれたものへ意志すること。音楽でも写真でも映画でも演劇でもなんでも、ぼくはそういうものに出会ったとき、面白いって感じます。
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ソナタを作ったり再生したりするのは、もはや演奏者ではない。彼は、自分がソナタに奉仕しているのを感じ、他の人たちは彼がソナタに奉仕しているのを感じるのであり、まさにソナタが彼を通して歌い、あるいは演奏家がそれについていくために「急いで弓を握りしめ」なければならぬほど突然ソナタが叫び声をあげるのだ。
(『見えるものと見えないもの』「絡み合い-交叉配列」 メルロ=ポンティ 滝浦静雄・木田元訳)
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昔、写真をよく撮っていた頃があって、といっても10年ぐらいずっと撮っていたのだけど、写真に関わる人ならたぶん上に挙げた言葉は日常的な感覚として感じていることだと思う。
たとえ自分が決めた構図でタイミングでシャッターを切ったとしても、撮れた写真は自己表現ではない。自己表現なんてほんとうにちっぽけなもの。写真にはいつも知らないものへと開かれる可能性がある。それを頼りに次のシャッターを切っていく。急いで弓を握りしめる。
知らないものへ開かれていくこと。意図せず開かれたものへ意志すること。音楽でも写真でも映画でも演劇でもなんでも、ぼくはそういうものに出会ったとき、面白いって感じます。