小児科ナースをしている友人と会った。
最近のこどもたちが、いわゆる世間でも言われているように「キレやすい、集中力がない、遊び方を知らずゲームばかり、集団行動ができない・・・」などなど昔のこどもたちとは変わってきているのは、彼女自身小児科病棟のこどもたちを見ていても感じているという。
そして、その原因を彼女は親たちのしつけのあり方にあると考えており、親が未熟だからそういうこどもにしか育たないことを憂慮している。
彼女の勤める小児科で小児科部長をしている医師・細谷亮太氏 も、そういう状況に対して「一度世界が滅亡しないとこの状況は変わらないのではないか、それくらい悪化の一途をたどっている」というようなコメントをしていたという。
だいたい、わたしがこどもの時はしつけも遊び方も今とだいぶ違った。
たかだか2,30年前のことであるが、北海道と東京という地域差を差し引いても、全然違う。
(北海道で小学校教員をする父親もわたしに同意してくれているのだ)
食事の間はテレビを見てはいけなかった
ダイニングセットが買われるまで座って食事をしていたときは、正座を崩してはいけなかった
小学生のときは夜9時に寝て、朝6時に起きていた
9時過ぎのTVドラマを見たいときはビデオ録画して昼間見た
夕方6時の夕食から寝るまでの間は、居間で家族みんなで過ごした
学校から帰ったら外でしか遊ばなかった
(木登り、森の探検、おにごっこ、お花摘み、サッカー、野球、ハンドベース、自転車競走・・・)
その辺の葉っぱやお花の蜜や実をとりあえず口に入れてみて、おいしいものは友達と教えあった
ゲームは小学校中学年ころファミコンが出始めたが、1日1時間と決められていた
小学生のときは外泊できなかった
中学生になり、友人宅にお泊りに行くときはあらかじめ日時を決め、事前に親どうしが電話であいさつし合っていた
花を摘んできたら押し花にした
夏は暗くなってからホタルを見に行ったり、森にセミのさなぎをとりにいき、キレイなエメラルドグリーンのセミがかえるようすを家族でながめて夜を過ごした
すこし思い出してみても、わたしのこども時代ってこんなものだった。
そんな生活にこども心に「もっと起きていたいナー」「あのドラマ見たいナー」というキモチはあっただろうが、あの生活をしてきたわたしはしあわせだった。
今考えてみても、あのころのわたしは家族と友達の愛情に囲まれ、毎日が楽しさと発見にあふれていたし、こどもながらにそれを味わうことを知っていた。
そんなこども時代をおくることができずにいるイマドキのこどもたち、特に都心のこどもたちを本当にかわいそうに思う。
自分のこどもには、わたしが過ごしてしあわせだったようなこども時代を過ごしてほしいと切に思う。
そのためには、やはり大切なのは「しつけ」
優しいこと=叱らないこと じゃない。
愛情をもって叱れば、必ずこどもにも伝わる。
そう思う。
こどもを思い通りにしようとして言葉をかけるのではなく・・・。
今読もうと思っているのは、「子どもが育つ魔法の言葉」
という本。
その小児科ナースの友人に薦められた。
子は親の鏡になる、ということについて書かれているそうで、こどもは親の態度・姿勢・考え方を反映していくものだから親はこうありたいもの、という指針になりそうな内容である。
家族で過ごす時間を大切にすることで、家族のありがたみや絆はもちろん、愛し愛されるキモチを感じながらこどもは育っていけるのだと思う。
親のかける言葉ひとつひとつをこどもは見に沁み入りながら聞くものだから、こどもの成長にプラスになる言葉をかけたいものだと思う。
そんなふうに考えていたとき、ちょうど「週刊文春 5月26日号」に 「やっぱりテレビなんか要らない!『TVなし』を実践した埼玉の小学校」 という記事を読んだ。
「ノーテレビ・ゲーム チャレンジ」と称して、テレビを見ない、あるいは制限する(ゲーム・ビデオ・DVDを見る時間も含む)というチャレンジを全校児童と保護者に呼びかけたところ、実施してからは集中力が上がったり、自分で時間を決めてできるようになったり、家族と過ごしたり話す時間が増えるなど、おおむね好評で効果もあったとのこと。
この情報化時代、親の世代がテレビつけっぱなし、インターネットに夢中があたりまえになってしまっているが、そんな自分たちの習慣にこどもたちの大切な時間を巻き込まず、家族と過ごしたり、本から情報を得たり心を豊かにしたり、自然に触れたり・・・、そういうことの大切さをさりげなく教えていくのも、しつけのひとつ、親の義務ではないかと思います。