学校は本来、学びの舎でなけらばならない。もちろんその学びの中には集団生活の仕方とか、社会生活を営む上で必要になってくる様々な技術を習得するとか、いわゆるテスト勉強以外のことも含まれるが、いずれにせよ、通うものが皆何かを「得る」場所でなくてはいけないはずである。

にもかかわらず、学校が「得る」よりも「失う」場になる事案が多発しているのは、かなり忌々しき事態といえる。いじめ、学級崩壊、これらの言葉を日々のニュースで目にしないことが少ないくらいである。

かくいう私自身も、小学校高学年の時に自分の学級が崩壊していた経験があるので、決して他人事としては考えられない。その経験から思うのは、クラス内で起こる諸問題の原因として、担任の力量は大きく関わってくるものだということである。全てのケースに当てはまる要因というのはないのかもしれないが、「担任をはじめとする周りの大人」がどう子どもたちに向き合っているかというのが、学びの環境を考える上で一つの重要な事項であることは間違いないだろう。

学校の先生と言うのは、えてしてそれ以外の職を経験したことがなく、社会経験が浅いと言われる。要は、未熟な大人が多いということである。この未熟な大人たちを、真に子どもを学びの道に導いていくに相応しい大人として育てる何らかの仕組みが必要なのではないだろうか。