夕べ食事の用意をしながらふと思った。

最近選ぶ食器がずいぶん変わってきたな、と。


前の家で姑と夫のモラハラに耐えていた頃、食器もほぼモノトーンだった。

和食器も例外ではなくモノトーンに少しブルー系の物がある程度。

食器棚の中は黒と白で分けていた。


夫と別居を始めてから買ったもの。

まだやっぱりモノトーン。


そして別居後1年ほど経って買った物。

控えめな色調ながら少し色がついてきた。


そして現在、別居後約2年。

こんなに華やかな食器が欲しくなった。


この見事なまでの変化に心の状態が現れているようだと思った。


悩み苦しみながらも少しづつ心は前を向こうとしているのかもしれない。


今も清々しい気持ちにはなれないまでも、いい意味で諦めることができてずいぶん楽になった。


私には私にしかない良さがきっとあるはず。

生きてるだけで偉いじゃないか。

夫にとってはあくまでも妻以外にいつも他に女が欲しかったというだけで、私に価値がないわけではない。

あくまでも夫の人格に問題があるだけ、その問題に私が責任を取る必要はない。

悩み苦しみながら歳を取った分、私には人の心に寄り添う愛がある。

だからこれでヨシ。


今はそう思える。


結婚記念日の朝、夫から届いたメールの中に

「我慢してくれてありがとう」

という一文があった。

正しくは

「我慢させてごめんなさい」

ではないのかと目を疑い何度も読んでしまった。


つまり、他の女と遊び歩いていることを知っていて深く追求することなく我慢していてくれてありがとう、という意味だろうか…?

私にはそこのところも理解不能だが、そこまでしても若い女と別れることができないのだろう。

62歳の夫にとって若い女と遊べるのもあと数年。

今まで40年以上そうやって生きてきたのだから最後までそう生きたい、と願っているのかもしれない。

本当に哀しい性だ。


それでも不思議なことに夫のことを心底憎むことはできない。

夫にも幸せであってほしいと思う。


私の頭の中はどこまでいってもお花畑。

心の中はいつも哀愁で満ちているのに…

私も哀しい人間だな。


それでも華やかになってきた食卓を目にし、少しは心境に変化が出てきたのかなぁなどと思いちょっと嬉しくなった。




「事実は小説より奇なり」

そんな言葉が思い出された。


これは、作られた小説より実際に起こることには不思議で奇妙なことが起こるものだというような意味だと思うが、本当にそうだと思う。


私にとってはこの不可解な夫との、ことの顛末の末の部分は死ぬまで読み進めていかないと最終結論まで辿り着けない。


寝る間を惜しんで読み進めれば結末まで早く辿り着ける小説のようにはいかない。